【小学時の同窓会をする】同窓会っていうか仲間内で10年ぶりに集まろうってことです

人が乾杯をしている手 友人

小学時の同窓会といっても、なにも何十人も集まって久方ぶりだとワイワイするわけではない。

単純に当時仲が良かった2、3人で集まって酒でも飲もうという訳だ。

【小学時代の友人】会うのは少ないけど友人と言えるのはありがたい

彼らとは5年から10年に一回くらい会う仲だろうか。

一人は家が隣の幼馴染で、もう一人は高校まで同じだった友人である。

ここしばらくは会っていない。

10年も会っていないのに友人だと恥ずかしげもなく言えるのは大変ありがたいことである。

先日、その内の1人に久方ぶりに電話をかけてみた。

これですら5年ぶりくらいだろう。

私にしては大分積極的なことである。

何にも変わることない声のままで、人間、年をとってもそう性質は変わるものではないという事を再確認させてもらった。

【昭和時代の子供】同級生って凄い沢山いるイメージです

私が小学生の時、特に高学年の時には確か1学年で10クラス以上あったように記憶している。

校舎に入りきらないものだから、校庭にプレハブ小屋を作って何クラスかはそこに入って学習していた。

おまけに一クラスに40人以上いたように思う。

その後、時代は移り現代、私の子供達においては、一クラス30人に足りなくてクラスが編成できないとか、一学年に3クラスしかないとか聞くことがある。

私も自分の地元からでて大分離れてしまったので、地域性からを完全に比較することは出来ないが、世代の違いというものは大きい様である。

【子供である事の価値】なんだか今の方が大事にされているような

考えるに今がまともで、私の時がちょっとおかしいかったのかもしれない。

よく考えれば凄い時代だった。

子供が多かったものだから、なんだか大切にされ具合が今とは違う。

私が子供だったとき、無論、私の親は私を大切にしてくれたけれど、その様なことではなく、世の大人は今よりも子供に対し大雑把に接していた。

当時は道を歩いていて知らない人に怒られるという経験が何度かあった。

しかし今、そんなことをしようものなら変質者扱いだろう。

今の大人は知らない子供に接するのを恐れているのではないだろうか。

実際、もし何か悪いことを見つければ、私も自分で対処しようとせず、いきなり警察に通報することを選ぶかもしれない。

幸いその様な経験はまだないけれども。

【昭和のクラス】光化学スモッグが時々ありました。今はないですね

また、これも地域によるだろうが、光化学スモッグというものがあった。

夏の暑い日に校舎の中に退避して窓を閉め切るのだ。

当時はエアコンなどないものだから、教室の中は大変なことになる。

今考えれば、熱中症とか大丈夫だったんだろうか。

今でこそ、教室にエアコンがあったりするわけだが、私の時には考える事も贅沢だった。

今は水筒を持って行ったりしているようであるが、私の時は暑ければ水道の水を飲んでいた。

そもそもは水質は今のほうがよい気もするので、その様なニーズとしては昔の方があったのではないだろうか。

もっとも、この様な事を子供たちに話したことはない。

学年の人数が多くて一度も見たことがないような人もたくさんいたとは面白おかしく話した事はあるが、感覚的に知ることは不可能だろう。

苦労話はあまり面白いものではないし、それでよいのだろうと思っている。

【まとめ】

今は、学年全員と知り合いになるようだ。

それにあだ名で呼び合うのも推奨されないらしい。

時代というのは変わっていくのだなと改めて思わされる。

その様な小学生の時の話を恥ずかしげもなく出来る機会を、10年に一度くらいは持ちたくなるという気持ちは、判って貰えるのではないだろうか。

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