結婚する前、まだ20歳代の頃、夏休みに友人T君と旅に出ていた。
【旅行と旅の定義について】境界は旅行期間と貧乏さ
最初の年には青森、次の年には北海道。
旅行というか旅だ。
それぞれの意味を調べたわけではないので、本当の意味の違いはよくわからないが私にとって旅行と旅とのイメージの境界は、旅行期間と貧乏さだ。
1週間以上が旅、2、3日が旅行。
更には、貧乏で泊まるところを決めずにふらふらと思いのまま移動するのが旅、ある程度の計画を立て、宿泊施設をあらかじめ確保しているのが旅行。
上記の定義によれば、私が友人T君と行っていたのは旅であった。
【旅立ちの日】仕事終了後すぐの出発になります
それぞれ会社の夏休が始まる日、というか会社が終わったその日から、車に乗って北に向かうのだ。
旅の荷物は相談したうえで、あらかじめ車に積んである。
彼が私の会社の寮まで迎えに来てくれていた。
車はT君の持ち物であったから当然の事かもしれない。
古いアメリカの大きな車であった。
何ていう車かは知らない。
覚えていないのではない、興味がないから最初から確認していなかった。
自動車業界で働いてはいるが、基本、私は車にあまり興味がないのだ。
おにぎり業界の人だって、おにぎりに興味津々とは限らないだろう。
そういう事である。
【旅立ちの姿について】我ながらバンダナ姿ってどうなのだろう…
そして、愛用のバンダナを頭に巻き付けて旅立つのだ。
今はそんな者とんと見かけなくなった。
でも、自分でやっておきながら、今そんな者を見かけたら振り返ってしまいそうだ。
なんだか、勝手なものである。
当時は流行っていたのかと言えば、全くそんなことはない。
バンダナが流行っていたのはそこから更に20年も遡っての事ではないか。
なぜ、そんな恰好をしていたのか、当時の私に聞いてみたいものである。
【旅の間の宿泊】大体は車中泊なのですが、男2人だと狭くて…
この友人の車は旅行中の移動手段だが、宿泊施設にもなる。
大体寝る前には温泉施設に行ってから車を止められそうな場所を探すのだ。
一応、テントも持って行ったのだが、設営場所が見つからなかったことと、設営が面倒だったのとで、車でそのまま寝てしまう事の方が多かった。
そもそも、テントも正確な価格は忘れたが、安物であったのは覚えていて、多分数千円。
3千円位なものではなかっただろうか。
新品だったのに帰るときには、壊れてしまっていた。
あれは私とT君どちらの持ち物だったのだろう。
【旅の目的】寒立馬を見に行こう
青森に行く前にはお互い、寒立馬(かんだちめ)を見に行こうという話をしていた。
まだ私たちは若く、お互いに社会に出たばかりの事もあり、お互いに悩みが多い年ごろだった。
寒風吹きすさぶ丘に立つ馬を見れば元気になるという旅行本のコピーに惹かれたのだ。
牧場以外に生息する野生の馬?が見れるなんてとワクワクしていた。
これが旅の目的の一つである。
旅行に出てから何日目だったかは思い出せないが、その目的地に到着し、遠くから馬がいるという崖を探してみるのだが、なぜか馬はどこにもいない。
行った時には夏だというのに風強く、霧も出てきて薄ら寒い。
そのまましばらく待ってみたのだが、結局これでは我々が寒立人ではないかと思いながら、車に戻っていった。
これはいったいどうしたものかと、二人で車の中で話をしていたが、まあとりあえず飯でも食おうとそこからしばらく車を走らせて目についた食堂に入った。
そこで飯屋のおじさんに話を聞いてみると、簡単に一言
んー、寒いから林の中に隠れているみたいね。と
ちょっと待ってほしい、我々は、その寒い中でも強くたたずむ 馬を見る事で勇気をもらいに来たのだ。
寒いからと林の中に隠れられては、寒立馬ではなくなってしまう。
それはただの馬だ。
二人でなんだそりゃと、憤慨していたものである。
今となれば、勝手な事を言っていたものだと、赤面しかりであるが、当時はその様な事を話していたことを覚えている。
若いって、面白いな。と思う。
【旅の目的地】旅先は段々遠くなっていきました
この様なエピソードは他にもあり、この青森県の旅についてと、北海道の旅については、そのうち機会があれば思い出しつつ細かく書きたいと思う。
ただ現状、このブログはバケットリスト、これからの人生でやっていく事を淡々と書く事がコンセプトだと思っている。
いつにそれらに言及できるかはわかったものではないのだけれども。
で旅の話であるが、それが終わってからしばらく経った頃には、来年はどこに行くかと話をしていたものだ。
その前の年もちょっとしたところに泊まりで遊びに行っていたから
どっか(忘却)→ 青森県(9日間)→北海道(9日間)
であり、パターン的に年々遠い所にいく様になってきていたのである。
【最終的には】私が海外に出てしまったので、この旅はおしまい
もっとも、そのような話をしていたのは、旅から帰ってきてしばらくしてからの事だ。
大体、旅の帰りは、ずっと一緒にいるものだから、お互いの顔など見たくもないと思っていたと思う。
同じ車で男二人で1週間も生活していれば、うんざりしてくる。
決して良い事ばかりではないが、あとで思い返すとそのうんざりしていたことでさえ面白かったように思えてくる。
不思議なものだ。
そして、お互いに彼女ができたとしても夏休みになったら必ず旅を優先させようぜと誓ったものである。
ところが結局その次の次の年には、私が会社を辞めて、一人でさらに遠いところに長期の旅に出てしまったので、この約束は絶えてしまった。
その際には、私がさんざん責められて、お詫びに食事を奢らされたものだ。
【T君について】まあ腐れ縁と言うやつだろう。長い付き合いになる
いや、どうせ奴も、そんなに行きたいというモチベーションはなかったと思うので良いネタにされただけだとは思うが。
もっとも、その分は餞別代りにすぐに奢り返してくれたが。
ちなみに、私たちの間には金銭の貸し借りが発生したことはない。
彼は私がどんな人間であるか理解しているのだろう。
ちなみに友人T君は以下の内容にも関連する。
多分今後も出てくることだろう。
良かったらあわせて参照してほしい。
【まとめ】
そんな20代の頃にした旅に50歳代になってからまた行きたいとは思わない。
ただ、ちょっとした旅行に行って、その時の話に花を咲かせる事をしたいなというのが本項目の趣旨なのである。
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