眼鏡に対しては抵抗感があった。
【眼鏡の位置づけ】めがね~は~か~お~の いちぶ~です
もっとも、今から40年以上も前から眼鏡をしていたので、もはや顔の一部といっても差し支えあるまい。
但し、近眼がひどい上に強度の乱視まで含んでいるため、まさに瓶の底メガネという感じになっている。
人によってはメガネをすることで、かえって理知的なイメージやかっこいいイメージを得る人もいるようであるが、少なくとも私に限っては全くその様な思いをしたことがない。
メガネというものはレンズの重みがあって、長くしていると耳が痛くなる。
よって、もっぱらコンタクトを使用していた。
【コンタクトレンズをやめる時】なんだか最近目が痛くて…
ところが、この項目はそんな私の35年来のコンタクト使用歴をやめようという、なかなか野心的な意味合いを持つ項目なのである。
但し、バケットリストの項目としては「似合う眼鏡を買う」という事なので、”似合う”という事に主眼をおいてしまうと目標は一生達成できないかもしれない。
それは自分が決めた事であるので自分が納得すれば良しとしよう。
そもそも、似合う眼鏡を自分で選ぶという事に無理がある。
どの様に無理があるかというと、これは非常に目が悪い人でないと理解が難しいかもしれないと思うのだが、目が悪いわけだから似合う眼鏡などは自分で選べないのである。
【眼鏡の選び方】いえカッコイイとかではなく自分の顔が見えなくて…
目が悪くない人は何を言っているのかわからないことであろう。
コンタクトレンズを使用しているのであれば、眼鏡屋でコンタクトレンズをしながら選べばよいではないかと思うかもしれない。
ところが眼鏡を選ぶときにはその度数も一緒に計測するわけだ。
眼鏡向けの度数を正確に計測するにはコンタクトレンズをその随分前から外しておかなければならない。
そうすると、コンタクトをしている状態で眼鏡を選ぶという状況がないわけだ。
眼鏡をした状態で眼鏡を選びに行くと、度数がない状態で眼鏡を試着して選ぶので、自分の顔が全く分からない。
でも、イメージでは、きっと自分はこんな感じの顔であろうと思う。
そのイメージの中で自分で選んだ眼鏡はなかなか悪くない感じであるがいまいち自信がもてない。
【選択された私鏡】私よりも妻の方が私の顔を知っているらしい
そこで、私は一計を案じ、妻に来てもらって一緒に見立ててもらう。
但し、先ほど自分が選んだ眼鏡を試着した姿にはどうも微妙な顔をしている。
あまつさえこっちのほうが良いのではとどうも黒縁フレームの大きいものを勧めてくる。
いやいや、私はスポーティーな感じの眼鏡をすることで、もっとかっこよく見られたいのだ。
もしかして、妻は私がかっこよくみられる事が嫌なのかなどと、のちに思い出すとまるで愚かな事を考えている。
結局、自分のイメージを捨てきれず、初志貫徹してしまう。
そのあまりの近眼ゆえに店にはレンズの取り置きがなく、私の場合受け取りに通常一週間程度を要する。
ようやく受け取って初めて自分の顔を見ることになって気づくのである。
何か違うと。
そのイメージと実際の顔の違いに驚くのである。
そうなると店員も私に対してなんだか気の毒な感じを思っているかのように見えてくる。
一方、妻の方は、まあまあいいじゃないというような慰めの言葉をくれたりする。
【まとめ】
こうやって自分の愚かさを再確認することも多い。
まあ、この年齢であるので顔のつくりなどはそれほど気にすることもなく、すぐに慣れてしまうのであるが。
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