いつか講演会に行ってみたいと思っている。
このいつかというのはくせ者で、大体は忘れてしまって実行しない事が多い。
その為、このバケットリストは使えるのである。
【では誰の講演会に行くのか】養老孟子先生の講演会に行きたい
私のプロフィールでは、尊敬している人に養老孟子先生を挙げている。
YouTubeには養老孟子先生の言葉や講演会の内容が多くUpされているが、ポイントが切り抜かれており、大変に便利で助かっている。
科学や心理に基づくよい言葉を言っているなあ、と感心させられる。
私ではこうはいかない。
どこか人というものに対して達観しているようにも見えるのが、私が好感を持っている処だろうか。
また、頭が大変に良い、年齢を重ねているというのも言葉に深みが出て大変に良い。
何かで若い頃には講演などする様な感じではなかったと言っていたが、信じられない。
とてもウィットに富んだ楽しい話をされている。
では、他に講演会に行ってみたい人があるかというとあまり思いつくものではない。
政治家や、宗教家、経済人の公演は多くあるが、こちらの方にはちょっとご遠慮をさせてもらいたい。
どうも、この辺りの方々の公演では、何らかの考えが働きバイアスが強いのではと、考えて、のめりこむのが難しい気がする。
相手が話しているさなかで、心の中でちょっと皮肉を覚えるようでは少し寂しいではないか。
せっかくなので少年の様な素直な心で人の話を聞いてみたい。
【いつ行くか】今から15年も先を設定しているが、なぜそんなに先なのか
では、いつ頃を想定しているのか。
すくなくとも、65歳を迎えるまでにはそのような機会もあるだろうと思っている。
何をそんなにかけるつもりなのだ、行きたいならすぐに行けばいいじゃんと言われてしまいそうだ。
おっしゃる通りだ。
ただ、自分の時間というものは、自分の時間でありながら実はそうでもない。
特に家族がいる者はそうだろう。
子供があれば、子供の予定に併せて動く。
一人でいく訳だから妻にも気を使う必要がある。
では、家族がいなければどうかというと、その場合でも仕事がとか結局は色々とやりたい事にブレーキがかかる事だろう。
きっと、時期があるのだ。
それがどうしても必要とあれば、何をおいてもいく訳だろうし、それはいまではないだろうと思っている。
私の心にそれほど余裕がない今の状態では、なんやかんやといかない理由を付けてしまうだろう。
この辺の理由がなくなるのが、15年後という訳である。
さすがにこの位までには機会を得る事も出来るだろう。
ただ、養老孟子先生も既に御高齢だ。
出来るだけ早い実行をとは思っているのだが。
【物事の先送りについて】宿題を老後に積み上げすぎではないか
そう考えると私は老後というものに大きな憧れを抱いている。
私のバケットリストを考えてみると、難しい事こそ、老後においてしまっている気がする。
例えば、英検1級、TOEIC、事業、そして旅行は全てだ。
大変な事も、楽しいと思う事も、挑戦事項も、みんな60歳の後である。
この様に物事を先送りにしてしまうと、なんだか先送りをする癖がついてしまいそうだ。
まあ、年を重ねれば余裕が出来るだろうと信じて、日々、戦っている。
そうでなければやってられない事だろう。
老人である私に対しては、色々とやる事を積み残してちょっと申し訳ない気分だが、その代わりに、更に単調な事項は今のうちにやって、片づけておいてやるのだから、勘弁してもらう事にしようか。
大変な事を積み残す代わりに、楽しい事だって積み残しているのだ。
ちょっと心配なのは、私が出不精で、別に旅行になど行きたくなくなってしまう場合。
まあ、後で後悔しなければ別に良いが、その場合にはやっぱりやめたという項目が、20件位も出てきてしまうのではないか。
それはちょっと寂しすぎる事である。
決めてすぐにやる、やりたいときにやるというのは、この様な熱意が冷めてしまう危険性を避ける事が出来る事に対して有利であろう。
でも、今そんなバイタリティーはないので、予定を早める変更はしないけれども。
やりすぎては疲れてしまう。
私は今、十分に忙しい。
【まとめ】
心に余裕が出来た時に、養老孟子先生の講演に行きたい。
余裕がある時というのが重要で、その時にこそ心から楽しめるというものであろう。
そして、その講演の帰りにはうまそうな店でそばを食すのだ。
何か心のつかえがとれたような気分になれるだろう。
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