政治家は議論を戦わせること自体が仕事なので止める訳には行かないだろう。
こちらは一般おっさんである。
意見を戦わせることが趣味でもない限りは出来るだけ避けるようにして生きて行きたい。
【議論を避けるべき理由】大体は状況が悪化する事になってしまいます
本件は下記の記事にもつながる所があるが、ちょっとだけニュアンスが違う。
無論、議論は必要だし重要な事だ。
私だってこれを否定できないし、その利点も多いと思う。
但し、物事に対し同じ方向性を持った者同士が、という条件を付けさせてもらいたい。
ある程度同じ方向性を向いていれば、議論を戦わせる中から、気が付いていなかった何かが生まれる事もある。
ただ、通常、議論の際には感情を伴う事も多い為、その様な気付きの機会があってもそれをキャッチアップする余裕はないかもしれない。
大概は全く意見が異なる者、ベースとなる言語(これは日本語という意味でなく)が違う場合にはこの議論は全く意味をなさない。
むしろ、議論する事によって状況を悪化させてしまう。
単純に自分の思う所を述べたところで、相手が聞く耳を持っていない場合、お互いの違いの協調となってしまい得るものはない。
疲れるだけである。
議論をする事で、物事が解決できるなら、世の中に争いごとなど起こらない。
通常の場合、個人であれば喧嘩の前には議論が、国家であれば戦争の前にも議論が存在する。
議論を経ないでいきなり、喧嘩や戦争が発生するのはよほどの事である。
だから、価値観が異なる場合には出来るだけ議論は避けた方が良い。
【ではどうすればよいか】物事を本気でまとめたい場合、議論ではなく調整をする
相手の言うがままに動くとか、言う事を受け入れるという訳ではない。
もしこんな議員がいたら嫌だ。
対立する政党のいう事を、議論を経ないで唯々諾々と受け入れるような議員がいたら次の選挙では当選は難しいだろう。
ポーズだけでも物事の主張はしておかなければならない。
でも、物事の解決にはならないだろう。
相手が変わってくれることなど期待できないからだ。
政治家の場合には意見表明が重要なのである。
でも議論そのものを仕事にしている訳ではない人であれば、意見表明などあまりする必要はない。
寧ろ意見表明をしておくことで、その意見に異なる人を敵に回してしまう事がある。
物事を進める場合には、議論をするのではなく、調整が必要だ。
相手の意見をよく聞いて、状況の整理をするのである。
別に自分はこう思うなどと述べなくてもよい。
【具体的な調整の対応方法】まあ、私が思う場合という前提なのですが…
何か良い事を言っていれば当然採用するべきだが、大抵、議論好きな人の傾向としては、それ程良い事を言っているとは思えないような事も多い。
だって、議論そのものが好きなのだ。
議論の帰趨を考えて話す必要などない訳である。
だから、最初から議論には持ち込まない。
まずは、なるほど…と意見を聞くのだ。
その上で、全ての意見を受け入れるのは難しいですが、出来るだけ取り入れるようにしますと述べておく。
なにせ、多くの人の意見があるので、一人の見解を受け入れるのは難しい。
でも、物事をまとめたい場合には、意見の集約権は自分にある事が望ましい。
その場合に少しだけニュアンスを変える、自分の見解のエッセンスを入れるテクニックがあるのだ。
議論好きな人は議論が好きなものだから、意見が幅広い。
割とどうとでも取れるような事を言っている事も多い。
物事をまとめる人は深く考え、議論の方向性をあらかじめ準備しておく事が必要だ。
自分の意見を持っていない訳ではない。
相手の言っている事が自分の見解に近ければ、そもそも都合がよいし、そうでなくてもまとめる際にうまく持って行く。
こればかりは慣れとかテクニックが重要だろうが。
【まとめ】
それら手順を心がける事で、議論をする必要がなくなっていく事だろう。
今でも議論は避ける様にはしているが、まだ不十分なので、もっとうまくやりたいという事だ。
意外なことかもしれないが、海外で高等教育を受けた人と物事を決めようという場合には、まず議論になる事はない。
大体、議論という名の熱い意見表明は日本の人から述べられることになる。
多分、意見表明とディベートには差があるのだろう。
今の教育の事は知らないが、昔はディベートの教育などなかった。
日本人はディベートが苦手なのではないだろうか。
ただ、「どんな一般化も危険である。この様に一般化することも」という言葉もあるので、気を付けなければならないが。
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