【人を見下す言い方をしない】全く悪気はないですがだからよいとは言えません

黒猫が下を見てる やらない事

言葉尻はなかなか難しいと思うが、相手を不快な気持ちにさせるならば改めたいと思う。 

これは、下記の記事内容に通じているところがある。 

【話し方に気を付ける必要】妻からは偉そうに見えるとの事でして 

妻と話をする際、大変に嫌がられるのが、人を見下すような言い方をするとの事である。 

自分では全く悪気がある訳でなく、かつ見下すなどとんでもありませんと思っているのだが、自分がどの様に思っていたところでそう見えるのであれば仕方がない。 

でも言い訳させてもらえれば、鼻で笑う、マウントを取る、そんな事は知っているという態度を取る、自慢する等々は行っていない。 

多分純粋に話しぶりの問題なのだ。 

黒川伊保子さんの妻のトリセツや、定年夫婦のトリセツによれば、女性は話の中で共感を大事にし、男性は解決策や結論を求めるという。 

これは本当にその通りだと思う。 

世の女性からは大変に眉を顰められそうであるが、私などはこの内容の男性側の典型例だ。 

話や物事には常に解決策を求めたくなってしまう。 

物事はそうでなくてはならんと思っている。 

そして、私にとっての女性代表である妻は、それが気に食わないのではないか。 

この辺が偉そうに見える、如いては見下しているという見解になっていくのではないか。 

しかるに男性においては、100年前の「吾輩は猫である」の猫の飼い主、くしゃみ先生においても、その妻から同様の見解がされていた。 

古来からの事でもあり、変わるのは難しいとは思うが、愛想をつかされてもつまらない。 

出来るだけの努力はしていきたいと思う。 

【そもそものこのブログの文体】いつもこの言い方という訳ではありません 

ところで、このブログで使っている言葉・文体は、通常時は、だ・である調を使用している。 

これを常体というらしい。 

ちなみに、です・ます調の文体を敬体という。 

確かに、このブログ内ではこの敬語、です・ますはほとんど使用していない。 

このブログを見ている人の中にはこの常体を使用する事に不快感を感じている方がいるのではないかとちょっと不安になる。 

いや、この常体を使用する理由としては、他意はないのだ。 

単純にかっこいいからである。 

昔の日本文学がです・ます調で書かれている事はあまりない気がする。 

日常生活時にはこの様な言い方をする事はあまりない。 

ブログ内だけのことだ、どうか許容してやって欲しい。 

日常生活において、この様な言い方をしているという訳ではない。 

実際には、腰の低い(自分ではそう思っている)おっさんである。 

日々の生活においては、ごく普通の話しぶりである。 

です・ます調を使うかはよくわからんが。 

【五十路病】いそじ病、この様な名称の病気はありませんのであしからず 

中二病に対抗し、五十路病という名称を考案してみた。 

その内容を言うならば、下記のようになる。 

「50歳程度の年齢の者において、文豪の様な妙な言い方を好むようになる。 

精神的疾患という訳ではない。 

尊大で、鷹揚な雰囲気を出す為、出来るだけ難しい言葉を使いたがる。 

時々、言葉の使用は間違っているが、それっぽい言い方なので、周りの者は気が付かない。」 

と言った感じだろうか。 

そっとしておいてあげるというのが正しい対応方針であるが、どこかイラっとしてしまう方があるのは理解できる。 

今更、文体を直すのは本ブログの存在意義を否定するものにつながるから、せめて内容には気を付ける事にしようか。 

この五十路病、何を言われても気にしない空気を醸し出すことがあるが、実は大変に打たれ弱い。 

心の中では傷ついているというのも特徴なのである。 

【まとめ】 

本件、心掛けの問題なので、何を持って達成というかは難しい。 

言い方の問題なので、自分で測れないのだ。 

本件については妻の総評次第という事になるだろうか。 

ところで話は変わるが私は本ブログの中で「吾輩は猫である」を頻繁に出す。 

特にその猫の飼い主のくしゃみ先生を出すことが多いと思うが、実は私が気に入っているのはその友人の美学者 迷亭(めいてい)氏である。 

この真面目にふざけた感じがたまらない。 

私も出来る事なら、この人の様に人生に余裕とオフザケを持って生きて行きたいものである。 

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