【雑談力に関する本を読む】別段社会生活に困るという訳ではないけど

バスケットボールの試合風景 なりたい状況

社会生活に支障をきたすほどコミュニケーション能力がないという訳では全くないし、それなりにはうまくやっている。

でも、やり取りをする時にはどこか疲れてしまうのだ。

できればこの疲れを低減させていきたい。

その一つの手法として、ネタ帳をつくっている。

【会社でのコミュニケーション】どこか乗り切れないんですよね

例えば私はスポーツ鑑賞が好きではない。

ゴルフはアメリカに駐在したときに、生きて行く為、仕方なくやった事はあるが、その時に買ったゴルフセットはどこかに行ってしまった。

多分天井裏でほこりをかぶっているか、誰かにあげてしまったのだろう。

話の切り出しに意味のない天気の話を持ち出すのも苦手だし、人の機嫌を取るのは更に苦手とするところだ。

会社では空気を読まないと時たま言われるし、上司からはその、人への機嫌を取ろうとしない言動にあきれると言われたこともある。

そういえば、私が30代の時に所属していた課では私以外の課員みんなでフットサルをやっていた。

その時の上司であるグループマネージャーもやっていたので、完全にのけ者状態だ。

さて、ここまで書くと、なんだか社会生活になじめていないダメな感じに見えるかもしれないが、別段そんなこともないと思っている。

課員でのフットサルの件は、誘ってくれるのを毎度か断ったら、そのうち誘われなくなっただけのことであるし、私もよくこの件を使って自分から堂々と冗談を言ったものだ。

隠れてこそこそと話をされるより、私の前で気にせずに昨日の試合の結果について話をしてくれた方がはるかによい。

私の周りや上司との関係性も別に悪いという訳ではない。

むしろ大分よい方だったと思う。

私の性格は物事を悲観的に見るきらいはあるが、消して攻撃的でもその場の雰囲気を悪くする訳でもないし、まれに周りの人から相談を受けたりすることもある。

いや、お金の相談なら断る一択だが。

【興味がある事なら積極的】そうでなければ関わらないだけです

飲み会だとかは好きなので、むしろ積極的に参加していた。

一時、飲み会が趣味だとか、酒を飲むのが人生の楽しみの3割に至るとかを公言していた位だ。

自分が好きな事であれば人と付き合うのはいとわない。

自分がやりたくもない事で人に気を使いながら付き合うのが嫌なのである。

そもそも私は人の顔色をうかがえないのではなく、うかがわないのだ。

ここには大きな違いがある。

空気が読めないといわれる事はあるが、多分、本当に空気が読めないのであれば、直接それを冗談めかして言われることはないだろう。

本当に空気を悪くする人というのはいる。

あれは恐ろしいばかりだ。

私の名誉の為に言っておくと、空気や相手の考え自体は全然読むことはできる。

むしろ相当鋭敏であると思う。

ただ、同調圧力に負けないように心がけて生きているだけである。

なんだか、上司におべんちゃらを使ったり、やりたくもないゴルフをやったり、周りに合わせてフットサルをやったりするとどうも何かを失ってしまう気がする。

そういえば、この性格は20代の頃からだった。

友人こそそれなりにいたものの、当時から一人の状態を好み、その状態を見ていたある女性に、何で誰ともつるまないのかと聞かれたことがあった。

その時には、一山いくらの人間にならない様に、と答えた覚えがある。

今もそう考えているかと言われれば微妙なものだが、なんだか筋金入りで難儀な性格である。

無難にこなしておいた方が、きっと得をすることが多かっただろう。

もし、万一、この文章を読んでいる若い方がいるならば、まだ若いうちはそれなりに周りに合わせて生きる事をお勧めする。

で、年齢を重ねてから方針を変えればよい。

【陽キャと陰キャについて】陰キャの人の方が話をしてみると興味深い事が多い

一般に陽キャと言われる人はこの辺の拘りなど持っていないのだと思う。

そういえば、これは昔からだが、1対多数は苦手だし、好きではないが、1対1であれば割と誰とでも問題なく食事に行ったりする。

あまり付き合いがない仕事上の人だとしても1対1であれば興味深い事を話してくれる事が多い。

ネタが豊富で意外なところを突き詰めていたり、新鮮な物の見方があって驚かされる。

誰しも話をしてみると割と魅力的で結構好きになる。

昔から自分と10歳くらい、場合によっては親子ほど年の離れた年齢の方と2人で飲みに行ったりしていた。

あれは結構好きでやっていたことだ。

これが、多くの中の1人となってしまうと凡庸に見えてしまう事が多い。

また私の勝手なイメージで恐縮だが、多くの中で声が大きく目立っている人との方が1対1で話をしてみると、物珍しい話がされない事が多い。

それこそ絵に書いたような、天気とゴルフと、仕事の話、誰かの悪口になってしまうのだ。

私がしたいのはその様な話ではない。

もっと絶妙で微妙な話をしたいのである。

あまり目立たないような人と話をすると色々興味深い考えを持っている傾向がある。

まあ、それこそ人それぞれであるわけだが。

【強権的リーダーと融和的リーダー】アウトプットは変わらないらしいです

話は変わるが、昔、何かで見たことがある。

強権的で他者を圧倒する様なリーダーに率いられた組織と、融和的で他者に対し理解があるリーダー。

どちらの組織がより生産性が高く結果を出すか。

答えはどちらも同じという事であった。

そうであれば、会社としては問題を起こさない限り、前者の方が指示しやすいのではないか。

ただ、私のタイプは後者である。

まあ、自分でいうのもなんだが融和的だ。

これは実際行うとなると、非常にきつい。

組織には色々な人がおり画一的ではない。

そんな人々をまとめて役割を配分し、同じ目標に向けて進めるのだ。

私が全体プロジェクトをマネジメントする場合、いつもオーケストラの指揮者を連想する。

多くの楽器演奏者の魅力をうまく引き出して一つの音楽を奏でていくのだ。

相当な技巧や時間配分、顔つきを始めとする心理推移等々が要求されるが、割とうまくやっていた自負がある。

一方、強権的である場合にはそんな事は何も考えず、ただ怒っていれば割と人は動いてくれるものだ。

でも、恨みも買うし、悲しみも生む事になるだろう。

私には人の恨みを買ってまで組織を率いるほどの気概はないし、どうせ同じ事なら出来るだけ融和的で人に圧迫感を与えない人でありたいと思っている。

だって、周りの人が気の毒で、私にはそれが耐えられない。

【まとめ】

色々と書いてしまったが、要はそんな社会生活において、雑談力を身につけてもう少し楽に生きたいのである。

雑談の為の本でも読めばちょっとはましになるかと。

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