何だかこれが欲しいという感覚が段々薄れてきてしまった。
欲しいという感覚よりも、必要だとか壊れたから代わりにとかそういったニーズに応じて物を購入するようになっている。
まれに欲しいと思う事があっても、ちょっとした我慢を積み重ねる事により、妙な癖がついてしまったようで少し心配。
本来ある程度の物欲も必要なのではないだろうか。
【欲しいと思う物についての基準】結局必要かどうかで決めてしまうのです
欲しい物とは主に今でも使用しているものの交換を目的とした購入となる。
必要かどうかでの判断だ。
例えば眼鏡については、日々コンタクトレンズを使用していたから常用はしていなかったが、そもそも持ってはいた。
でも、ほとんど寝所に行く際の数時間だけ使用するものだったので、昼間に使用するとなると不便となってしまうし、見た目が恥ずかしい物だった。
なにせ、ピンク色なのだ。
さすがにこんな見た目で会社に行くのは憚られた為、これは物欲とは言えないだろう。
既に日々、眼鏡をするようになってずいぶん経つが、寧ろ節約になっているし、大分楽である。
朝と寝る前にコンタクトレンズの手入れをするのは割合と面倒なのだ。
そういえば、この項目の目的は、似合う眼鏡を買うという物だった。
似合っているかどうかはよくわからないが、まあ、大分違和感もなくなったし、会社でも眼鏡付きの私の顔に慣れてきたようだ。
私の顔についての評判は知らんが、とりあえず、私自身は満足していると言ってよいだろう。
また、既に購入をしたものとしては新しいパソコンを買うという物がある。
これも、物欲からというよりは、必要に応じてというイメージだ。
ある程度は新しいものを準備しないと、セキュリティーに問題も出てくるし、やはり時流という物もある。
以前のパソコンが壊れる前に購入できてよかった。
OSがWin11にもなったし、立ち上げが非常に早くなって満足している。
妻や母のパソコンの方が高かった覚えがあるが、どうも色々妙なサービスがプリインストールされていて目的の事をするのに遅い。
ハードウェアの問題だけではないのだろうが、日本メーカー品はどうも余計な物をつけたがる傾向がある。
まあ、販売時にはアピールがしやすいのかもしれないけど。
【必要ないと思う物】電化製品の使わない機能とか多いですよね。
必要ないと思う物については、購入製品にプリインストールされているようなサービスが他にもいくつかある。
冷蔵庫や電子レンジの機能。最近はありとあらゆる機能が準備されている。
電子レンジには数十種類の料理向け機能が並んでいる。
でも、実際には、機能と言えば牛乳を温める位しか使っていない。
妻はこのワンタッチスイッチではなく、何W、何分で設定している。
多分、購入来押したことがないスイッチがほとんどだろう。
冷蔵庫や洗濯機に至ってはどんな機能があるか、確認する気もしなくなっている。
もしかしたら便利でびっくりする様な機能があるのかもしれないけど。
なん十種類のケースを考えていたとしても、一旦決めてしまえば、その消費者はほぼ1パターン、精精2パターン位しか使用しないのだ。
購入者が購入時にこういう風に使いたいとあらかじめ話をして設定してもらってから購入するのはどうだろう。
そうすれば、無駄な機能に悩まされることはないし、メーカーも余計な機能を削除する事でコストダウンにならないだろうか。
もっとも、それも大変そうだ。
購入時に使い方まで聞かれたら、私なら面倒くさくてそんな販売店からは帰ってきてしまう。
だから、メーカーは色々なタイプのわがままな消費者の要求に応じて、あらかじめあれだけの機能を準備するのかもしれない。
ちょっと納得したような気がする。
【物の価値という考えについて】人によって違いがあるのはこれによるのではと
宝飾品や腕時計については、全く興味がない。
誰がどれだけ凄い腕時計をしてようが、私には時間を知るという機能以外に判断のしようもない。
大体、腕時計の価値はその値段にも大きく関係するが、仮に5万円位の物であれば、機能1割、ステータス9割。
それ以上なら四捨五入してステータスが10割となる。
あ、でも今私がしている、スマートバンドであれば、同じような形の物であったとしても機能9割、ステータス1割という所だろう。
下手すればステータスは0だ。
人がこれをしている事でかっこいい!と思ってくれるのなら1とか2割になるかもだが、まあ期待できまい。私がしているのは数千円の物だ。
また、下記の記事でも書いたが、自動車の価値というのは移動3割、ステータス7割だと思っている。
そして宝石の様な完全に宝飾品に至っては、機能は0、ステータスが10割
でも、これ、ステータスにあえて興味を持たないというのは、実は経済的な観念の為の必要に応じた工夫なのである。
もし、私がステータスに興味を持って、どこどこの時計にはこの様な歴史があり、価値が認められるとか、宝石の価値とかに興味があったらどうだろう。
多分、羨ましいとか、自分へのご褒美にとか考え始めるのではないだろうか。
そういう事が無い様に、そもそも、その価値基準を私とは相いれないものとしてあえて知識に入れないようにしているのだ。
自由に欲しい物が購入できる余裕があれば別だが、そうでない限り、知らない方が良いという物は多くある。
まさに自動車がそうである。
私なら車に一千万も出すことは絶対に出来ないが、価値を知っている方から見れば、無理をしてでも購入するべきものになるのだろう。
そうならない為の知恵なのである。
【とはいえ本当に欲しい物】 それ単独では役に立たない物が多いのですが
では、何にもないのかと言われれば、そういう訳でもない。
本項目の欲しい物の記事としては下記を挙げている。
でも、実はこれらは単品では何の役にも立たない。
例えば、本棚だけあった所で、本がなければただの箱だし、火鉢に至ってはハマグリや木炭がなければ邪魔なだけだ。
使う事で初めて価値が出るようなものが欲しいのだが、使える状況にないのならいらん。
骨董的価値でもあるなら別だけど、あいにく慧眼は無い。
それぞれ場所を選ぶとか、火鉢は置くだけでなく、その使用環境が大いに大事だとかで欲しい物という概念では語りにくい。
火鉢を購入する前には、まず防火設備と排煙設備を持った和室を作る必要がある。
本も、最近では電子書籍で買うようになってしまったから、それをしまう本棚がすかすか又は、古い本が並んでいるという状態になってしまう。
こうなってくると、本当に欲しいのかちょっと疑問だ。
いやはやこういう風に変に考えてしまうから、段々物欲がなくなっていくのかもしれない。
少しは、情熱のまま物を購入していかないとしまいには出家してしまいそうだ。
気をつけないと。
【まとめ】
したい事や見たい風景、行きたい場所というのは他で挙げた通り結構あるのだが、欲しい物というのは限られてしまう。
欲しい物を無理やりに考え出すというのはちょっと明らかに趣旨が違っていると思うし仕方がない。
まあ、必要な物は既にそろっているという幸運があるのかもしれないので、不満かと言われれば贅沢な話となってしまうのかもしれない。
でも、そういえば、テレビを見なくなったから、テレビも録画レコーダも不要になったし、以前ならもしかしたら車は欲しいと思ったのかも。
欲求が減ったというのは確かにあるのかもしれない。人はスタイルに応じて変わるものだ。
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