寂しいことではあるけれど、大人になると仕事や家族が中心となり友人と会う機会が極端に減ってしまう。
それでも20代、30代の間はまだ休みの都度、会う機会を設けるのだが、40代ともなると完全にお互いの生活圏になじんでしまい本当に機会がなくなっていく。
このまま子供時代の縁が切れてしまうのでは寂しいので何とか取り戻す機会を画策する。
【小学の思い出】私の時代より子供が大事にされている気がする
思い出してみればそれなりに充実していた小学生時代だったと思う。
私が育ったのは割と都会に位置すると思っているが、それでもまだ分譲されていない地域では、雑木林が残っている様な場所であった。
ちょっと自転車で足を延ばせばカブトムシが取れる。
その辺に落ちている段ボールやビニールシートで秘密基地を作る。
そして、爆竹やロケット花火、かんしゃく玉、ねずみ花火、100円ライター、音の出る鉄砲、銀玉鉄砲、BB弾等々。
親に嫌な顔をされながら、こういう物を普通におもちゃ屋と言われる駄菓子屋で手に入れる事も出来た。
それらの武器は秘密基地を守るという名目で使われたり、周辺をパトロールパするのだ。
そうして、そのおもちゃ屋の奥の方では添え付けで100円入れれば遊べるテーブルのゲーム機がいくつか置いてあった。
そういえばこれらのものはどこに行ってしまったのだろう。
商店街に位置していたこのおもちゃ屋は20年も前にはすっかり形を留めずなくなっている。
そもそも商店街ごと消えてしまった。
私の地元はそれなりに人口はある街だったのだが。
よく考えたら昭和というのは凄い時代だった。
今なら許されないような事が平気で次から次へと思い出せるのだ。
そんな時代を共有した友人たちと再会したいものなのである。
もっとも、更に前には、太平洋戦争を経験した世代なのだ。
それも同じ昭和世代なのだ、信じられない。
【まさに悪ガキと言えるわけで】今なら大問題になるのではないだろうか
他にも年末には子供達だけで夜に集まり電車に乗って離れた町に行き、そこから深夜から朝までに歩いて帰ってくるような事をした。
また、何人か集まって、自転車でただひたすら行けるところまでまっすぐ進むみたいな冒険もした。
その時には何やら野原の先に森がある様な所で終了となった気がする。今となってみれば、あれば現実だったのか記憶違いなのか判断に困る。
そして時には、昼ごはん代わりに10円の麩菓子を10本買って、かじりながら遊んでいた。
小学生の授業中に木登りをした覚えもある。
イメージで言えば10メートル位は登ったのではないかと思うが、実際には5メートル位のものだろう。
そういえば、公園や学校にある遊具。
高い所に登っていくのが前提の細い鉄のパイプをよじ登っていく遊具だが、今ではとんと見かけなくなった。
少なくとも学校にはない様だ。
いやはや、思い出してみればまだまだある。
今考えれば、当時はよく許されたなという様な事も多い。
そんな悪ガキどもなのだ、先生は生徒を並べて一人づつピンタをしていくのだ。
下手をすればその直後、蹴とばすというのもある。
当時は別に問題とされなかったが、今なら大問題だ。
こうやって書くと、まるで私が悪ガキだったように見えるが、あくまで普通の子供だったのだ。
昭和と令和の小学生や親、そして先生の考え方はやっぱり変化しているのだろう。
【大学の思い出】麻雀とか飲み会とかモラトリアムとか
中学は小学校の延長みたいなものだった。
そうして、高校の事はあんまり覚えていない。
インパクトが少なかったからだろうか。
今でこそ大学の枠に対して、生徒数の方が多いが、当時は受験戦争と言われていたものだ。
まあ、子供を見ているといつの時代も受験は大変だが。
寧ろ、それは今の方が大変になっている気がする。
私の時は大学受験時に、高校生活での成績ってあんまり考慮されていなかった様な。
試験の点数のみが考慮されていた。 一発勝負。
でも、息子関連の話を聞くに、最近では、なにやら高校3年間の成績や生活態度が大学への入学許可に大きく影響するらしい。
私から見たら面倒な事である。
そうすると、学業だけでなく、3年間の態度にも気をつけなければならなくなる。
何度も言うが時代は変わるものだ。
大学ではやはり悪友が集まって徹夜で麻雀とかをしていた。
一度24時間を超えて継続したことがあるが、あれはさすがにきつかった。
そういう時は交代要員を確保しておくのだ。
そうして代わる代わる仮眠をとる。
カップラーメンやポテトチップスを食べながら麻雀パイを扱うので麻雀パイはギトギトだ。
何だか、妙なにおいまでしてくる。
そんな情景を共有した学友たちである。
このまま一生あわなくなるのではもったいないだろう。
【新たな縁の構築について】地縁と趣縁、ネット縁を作りたいと思っています
さて、過去ばかりの話であったが、当然未来にも目を向けなければならない。
やはり、みょうな事とは起こりえるので過去にもあれは何だったんだろうと思えることが多くあったりして興味深いが、実際には新たな友人が必要だ。
出来るだけ地域の縁を作っていきたいと思っている。
そういえば、私にはネットにおいて友人がいない。
もしかしたらこれが第六の縁と呼べるものではないだろうか。
血縁、地縁、社縁、学縁、趣縁、そしてネット縁
これからの時代においては、ネット縁も重視されていく事ではないだろうか。
実際、直接的に会うのはお互いに忙しければ難しい。
でも、例えばちょっとした時間にチャットをしたり、SNSを使ったりすれば、忙しい現代においてでも縁がつながる事だろう。
だからSNSが流行るのかと、今更ながらに思わされた。
考えすぎてしまう私にはそのバランス感覚というのも難しいのだろうが。
【まとめ】
余裕がない者にとって新たな友人作りは難しい。
だから、元々の友人たちと昔の様にと考えてしまうのだが、生活地域も違うし、新たな生活もあるだろう。
人は変わっていくのだから、新たに趣味の合う人たちとも出会っていかなくてはならない。
でも、普通普通と連呼している割には、各記事を書いているうちに何だか普通の感性じゃないような気がしている私もいる。
こんな私と友人になってくれる奇特な方などあるのだろうか、等と不安に思う事もある。
まあ、そういうことを考えられるようになったのだから、私も少しは余裕が出てきたという事なのかもしれないな。
コメント