大学の同窓会と言っても別に多くを呼んで大げさにやろうという訳ではない。
学生時代につるんでいた数人と集まろうという話だ。
【最後にやった同窓会】まだコロナ禍前でした
最後にやったのは今からすでに3年前、その時も10年ぶり位のものだった。
目標は50においてしまったが、コロナの影響もあるからわざわざ集まろうというモチベーションはだいぶん下がってしまっているので、時期はきっと過ぎると思う。
目標を立てたときには切りがよいから50歳でと思っていたのだが、つるんでいた中には、学生時代2浪していた者もいたから、そういえば、この天命の年はとうに過ぎているものもいる訳である。
天命という言葉については下記の記事も参照してもらいたい。
しかし、そう考えると不思議な気持ちだ。
【同窓会の集合方法】企画は大体私。Lineで呼びかけます
この同窓会という名の飲み会だが、大体は私が企画する。
短ければ3年、長ければ10年という期日であった。
企画と言っても、声出しをしてそれぞれの人と連絡を取っていく訳だ。
数人の事だから場所は当日決める。
集合の駅だけは前もって決めて置き、そこから先行して集まった2、3人で飲みに行くのだ。
どうせ、時間通りに集まる者などこの位である。
【実施のきっかけ】このまま関係が薄れてしまうのもどこか寂しいので
なんだか、こうやって同窓会を主宰してなどというと、私がまるで社交的であるかのように見える。
でも断言できるが、決してそういう事はない。
本当に社交的である者は、日々人との関係を保つことにも気を配るのだろうがこの飲み会においては、あくまで私の個人的な気持ちによるものだ。
何年に一度かくらい、学生時代の気持ちを思い出したくなるのだ。
そのきっかけとして、設定させてもらっている。
気力も時間も私の物を使う訳だから、その位の事は許されるだろう。
文句があるなら私以外の者が設定すればよい。
その証拠に、この飲み会を開催する以外のやり取りは一切行われない。
【人の変化について】年を重ねても人ってそこまでは変わらない気がする
寂しいものだと思うが、おっさんの大学生時代の友人関係などこんな感じではないかとも思う。
寂しい事ではあるがみんなそれぞれの生活に忙しいのだろう。
無論、人によるのだろうから一概には言えないのだけれど、人との関わりは距離にも関係する。
私も地方在住であるが、居住地はみんなばらばらの位置関係である。
やはり、近くの者と交友するのが自然な流れであろう。
面白いと思うのは、数年ぶりに会っても人相というのはそうそう変化がない事だ。
おおよそ、5年ぶり位であれば人はあまり変わったりはしない。
特に年齢が高くなるにつれて、代わり建はしなくなる。
以前などは、20年ぶり位の者が参加したので、どう変わったかなどとドキドキしていたのだが、思っているより昔のままであったのでびっくりした。
【学生時代の思い出】モラトリアムかつぶっ飛んでいた時代だったなあ
私の家は、学校から遠くて、朝、着実に授業に出席する自信がなかったため、時々、そいつの家で、試験前の勉強をさせてもらったものだ。
私も彼もあんまり出来の良い学生ではなかったので、いつも学業単位のギリギリさを競っていた。
試験当日、私は何らかの試験が1時間目からあり、そいつは2時間目からだった。
闇闇たる気持ちで、そいつの家から試験会場に行った訳であるが、まあ案の定、決してよいとは言えない内容であった。
そりゃそうだ、日々学習し、努力している方々と比較になる訳もない。
こちとら不良学生の代表格だった。
この場合、不良学生というのは女の子と遊びまわるという意味ではなく、モラトリアムという意味だけれども。
ところが、2時間目になっても朝まで一緒に学習していたやつがこない。
3時間目も、4時間目も同じである。
当時は携帯電話など持っていないから軽々しく連絡をつけようもない。
何事が起ったのかと、帰りに再度そいつの家に行ってみると、いなくなっていた。
そのまま、連絡つかずである。
後に聞いた話であるが、結局、そいつは以降のテストを一切受けずにそのまま旅に出てしまったらしい。
当時の私はそんな生き様をかっこいいと思ったわけだ。
私にはとてもできなかった。
成績は決して良くなかったし、まじめでもなかったが、小心者であった私はその様な大胆な行動に出れる者に憧れがあった気がする。
もっとも、自分が親の年代になって冷静に顧みてみれば、とんでもない話であるが。
結局、そいつは一年留年した後で、しっかり卒業していた。
興味深い者だったが、30年後の今の状況と言えば、そいつも九州の都市のどっかの企業で管理職として働いているらしい。
【まとめ】
私についてもそうであるが、年月というのはレジリエンスがある。
今、疲れている人や、大変な事があったとしても20年、30年経ってしまえば笑い話になるという事もある。
ともかく、どうしてもという時は、今はとりあえず逃げるという選択も必要なのかもしれない。
そんな昔を思い出すための、本項目なのである。
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