【美術館 に行く】絵心は全くないのですが自分が洗われた様な気がして

美術館の展示 行きたい場所

昨日は博物館に行くという項目を挙げたが、今日は美術館。
ところが別に美術に造詣があるというわけではない。

美術に対して含蓄がある方をうらやましいと思う事はあるが、
なかなか深く関わっていこうという気にまではならない。
なんだか、骨董や美術にあまりのめりこむと身を持ち崩してしまう気さえする。
これらは一緒にしたら怒られるのかもしれないが。

私などは自分でいうのもなんだが割とストイックであるので、歯を食い
しばって蒐集するという訳の分からない事になるかもしれない。
そんなのは嫌なので、その様な趣味には近づかない様にしている。

そんな中での今回の項目、美術館に行く、である。
これも前回同様、博物館の様に、建物が好きでそれ目的なのかと
問われれば微妙に違うとなる。

博物館は冷たい石、コンクリート作りのイメージである。
グループでいえば大学病院もこのイメージになるか。
いや、大学病院にお勤めの方やいつかお世話になることを考えれば申し訳ないか
あくまで私の感覚だ。

美術館はレンガ造りのイメージだ。
又は布。
なんで布って私も思うがこればかりはよくわからない。
こちらのグループには小学校、中学校が含まれる。
それも昔の建物である。
人間のイメージとはおかしなものだ。

この様な理由により、美術館と博物館は似て非なるものと思っている。

大きな美術館に行ってみたい。
博物館には多少なりとも行く機会やモチベーションが発生するのだが
美術館は、かなり気合を入れないと実現可能性が低くなる気がする。

ただ義務感で、項目を稼ぐために行けばよいというものではない。
それでは満足感がかなり下がってしまう。

美術館に行く時は機が熟した時だ。
なんだか美術的感性が上がり、誰かが制作し、一般的に価値を認められた
作品を無性に見たくなった時。

そんな時は一生来ない可能性もある。
長いとは言えない一生だがその様な気になることもあるのではないか、
寧ろあって欲しいという希望がこの項目になっている。

ちなみに私には絵心が全くない。
以前、何度か息子や娘と、猫とか犬とか、アニメのキャラクターとかを
書いて比較したことがあるが、ひどい物であった。

我ながら笑ってしまう。
あまりにへたくそなものだから、写真に撮った。
どうしてこうなるのかと書いた本人さえわからない。
何なら足の配置がおかしいとか、頭の形が違う、耳のある場所が違うとか
色々である。

それに比べて子供というのは絵をそれなりにうまく書く。
空間に対する認識能力が違うのではないか。

人は自分に持っていないものを求めるのではなかろうか。
そういう意味では、私が美術を見たくなるのもあながち間違ってはいまい。

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