先日、雑談力に関する本を読む事について書いた。
雑談力に関する本を読む
【ネタ帳を準備するという考え】思いついても忘れてしまう事がほとんどで
その続きみたいになってしまうが、その一環として、ネタ帳を準備したいと思っている。
私は日々、突然頭の中にふと浮かんでくることがある。
思いついた時には、人生の真理に気づいたか、新たな原理の発見でもしたかの様に思うのだが、後に考えると実はそれほどでもない事がほとんどである。
まあ、忘れてしまっても問題ないことが大半だ。
でも、色々な情報を見ていると中には役に立ちそうな事が見つかる事がある。
パレートの法則をネタに使う事とか、使い捨てカイロはどうやって処分すればよいかとか。
ちなみにパレートの法則は、物事を80%にするのにかかる時間は、それを100%完璧にするまでに
かかる時間の2割である。という事だ。
なんとなく、この話は今まで見てきた中で何度かであったことがある。
もしかしたら、その都度パレートの法則というのも出てきていたのかもしれない。
でも、それを毎回忘れてしまっていた。
ぼんやりと内容は覚えていても、それが何という法則であるかが思い出せなかった。
ムーアの法則だったか、キルヒホッフの法則だったかとか。
こういうことをきちんと記録しておいた方がよいと思ったのだ。
【ノートに留めていたネタの活用法】パーティーでって訳にはいきませんが
何となく覚えている事項はたくさんある。
でも、具体的に話をするときにはこれらを思い出すことが出来ず、まず役に立たない。
で、ノートを準備した。
このノートを時々見直す。
当然、ノートを見ながら人と話すなんて真似は出来ないが、まとめてどんな話があったか見直す事で、いざという時に口から出てくるようになる。
パーティーで話に困らなくなること請け合いだ。
パーティーなど行ったことはないし、行きたいとも思ったことはないけれども。
あ、でも、会社の出張の時とか食事が困るのだった。まさにその時のネタが必要なのだ。
お笑い芸人は常にネタ帳を携帯しているらしい。
話をすることが商売である芸人でさえ、話のネタが必要なのだ。
素人である私がネタ帳なしで楽しい話ができない事を責められる筋合いはない思う。
【寡黙である事】雄弁は銀、沈黙は金という言葉がありますが
もっとも、雑談力を非常に向上させることで、常に職場で大人気、なんて事になりたい訳ではない。
そんなのはこちらからお断りである。
別に今だって人と話をすることに困っている訳でもない。
当たり障りのないことは一時間でも話続けることはできると思う。
むしろ昔はそういう事が得意だった。
本当は余計な事を言わずに黙っていればよいだけなのだ。
人間の深みは割と寡黙さからも発生すると思う。
雄弁は銀 沈黙は金 という古いことわざもある。
でも、寡黙なのはこっちはよいかもしれないが、相手にとっては悲劇であり、気の毒である。
特に誰かと仕事を一緒に行う場合、年も取ってきている事もあり、社内の立場的にはこちらが上の事も多くなっている。
そんな状況で、私が寡黙になっていると、なんだか空気が重くなってしまう。
私は別に周りからえらく見られたいなどとは思っていない。
舐められるのは非常にいやであるが、寡黙な雰囲気を醸し出して周囲に圧迫感を感じさせるのは本意ではない。
だから、常に場を和ますための軽いネタが欲しいのだ。
いつも天気の話では、面白くないと思われてしまう。
【海外の人との間の取り方】日本の親しくない人よりはかえって楽かも
一方、社外の客先と話をするときには、深い話をする機会もそれほどないので、まあネタに困るような状況はほとんどない。
そもそも、日本人と仕事をする機会は私の場合にはあまりない。
海外の人と話をするのは2つの意味において比較的に楽だ。
一つ目としては、なんだか相手に合わせて自分の性格が勝手に変わる気がする。
その気になれば切り替えて、ヘイ、ジョン!という感じでテンションを上げる事もまあ可能である。
世間話もできる。
とりあえず、テンションを上げて天気の話でも何でもいいから話をしていけばなんとかなる。
海外の人も私とそれほど深い話をしたいとは思ってはいまい。
話の内容に期待がないため、逆に楽なのである。
そして、二つ目の理由には、元々、文化も違うんだし仕方ないよねっていうある程度の諦めである。
最初から目標値が高くなければ、多少、言葉がまごまごしたって許されるのではという甘えである。
影響とか経営層であればそうもいかないのかもしれないが、私が外国の方と会うときは大概エンジニアとか監査対象者としてなので、まあそこまで話を広げる必要もない。
よって、海外の人が対象の場合、ネタ帳を準備したいとか切実な事を考えたことがない。
自己分析するに、自分を取り繕ってもどうせわかんねーだろ、という事で、自分を演じる事に抵抗がないのではないか。
私はどうやら自分を演じるとかいう事に抵抗を感じてしまう性らしい。
それが英語で異文化でっていう事で既に大きなベールがかかっていると、わざわざ、ネタを準備してもう一枚薄いベールを持って話をする必要はないのである。
【まとめ】
ネタ帳を準備しておけば全ての問題が片付くだろうという物でもないだろうが、結構世の中を渡って行くのに何かと役に立つのではと思っている。
これから地縁も得ていければと思っているのだ。
最初が肝心、初対面でのネタがない事で、変に気難しいとでも思われたら悲しいではないか。
コメント