以前、年賀状の送付をする事を止めるという事について書いている。
【きっかけ】時間が経過すると連絡先が分らなくなるので…
そうすると、段々、親戚、姻戚関係について無頓着になっていく事だろう。
私はただでさえその様な関係性について顧みることが少ない人間であった。
親戚がずらっと並ぶリストでも作っておかないと、後に大変不便な目に見合う事が予想される。
そこで、この項目なのである。
別に私が名家・名門の出身であり、親戚が多くて誰が誰やら分からないという訳ではない。
昔見たサマーウォーズというアニメに出てきた歴史ある大家族みたいであれば困る事もあるだろう。
でも私の実質的な問題は、多分、年賀状を書かなくなると過去の年賀状はどこに行ったのやら分からなくなり、連絡をつける必要があるときに探すのが面倒だという程度の事である。
【親族のリスト作成】どっかできちんとしておく必要があるかと
それでも必要な事ではある。
そこで、PCのデータの中に親戚一同のリスト、名前や住所、関係性や電話番号等書いてあればきっと役に立つのではと考えた。
そもそも父方の親戚などは年賀状など送ったこともないし、会ったことも幼少の頃に数回という体たらくであるから、ほとんど記憶にない。
それでも、父親にもし何かあれば連絡をしてやりたいし、その時に初めて聞き出すというのは難しい事であろう。
よって、元気なうちに準備しておく方がよい。
【慣習や伝統】私はこの様な事がとんと苦手でして。悪気はないのです
ちなみに、私がそのような親戚関係や因習・伝統についてどれほど無頓着であるかというと、まず、お歳暮やお中元という物を送った事がない。
そもそも、確か冬と夏ごろにお歳暮、お中元というものがあったと思うのだが、それらがそれぞれ、どちらのものであるかがとんとわからない。
また、厄年についてもわからない。
40歳代では厄年があるが、これが前厄、本厄、後厄とそれぞれ設定されており、3回も厄払いをするのは大変だから本厄だけやろうと前もって決めていた。
ところが、いよいよその年が来たと思った時には、一年間違っていたことに気が付いた。
原因は数え年だったか、早生まれだったか、ともかくズレていたのだ。
そうすると、本来は本厄だったのにもう終わってんじゃんとなる。
その年は別段、悪い事も発生しなかった。
いや、発生したかもしれないが、まあ毎年良い事もあれば悪い事もある。
そうすると、まあ、いいやとなってしまった。
いい加減なものである。
【世間の50歳】一般的にはこの様な事にどれ程向き合うのだろう
他にも同様の事はいくつもある。
年賀状もその一つだし、お盆についてもよくわからない。
この辺りについては、いつか確り学習しようと思うのだが、なかなかモチベーションが発生しない。
おおよそ 世の50歳位の人で、私ほど伝統に対し不誠実なのは少ないのではないだろうか。
多分、世間の50歳というのはこの様ないい加減なものではあるまい。
もっとも、基準をよく知っている訳ではないので、正そうという気持ちもあまりないのだが。
不思議なのは、伝統自体は割と好きなのである。
親戚づきあいだって嫌ではない。
久しぶりに会う機会があれば、なんだかドキドキして楽しくなる。
【因習とか】民俗学には興味があるのです。小説の中でですが
因習だって大好きだ。
私が挙げた好きな小説家、京極夏彦も三津田信三も、そのような因習にかかわる物語を多く書く。
なんなら、横溝正史も大好きだ。
でも、自分事としてあてはめた場合、全くダメになる。
【まとめ】
さすがに生きて行くにあたって、このままでよいとは思えないので、せめて、親戚関係のリストでも作成しておくかという事なのである。
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