私には姉がいる。
別にすごく仲が良いとも、また悪いという訳ではない。
【姉弟でのやり取り問題】仲が悪い訳ではないけど連絡の理由もなく
住んでいるところが遠いし、別段、何かの要件がある訳でもないので没交渉である。
ただ、例えば正月になって、実家で集まる事があれば、その日程や時間決めで年に一度くらいは連絡をする。
突然の電話である訳だし、そちらも何かやっていたうえで手を止めているのだろうと用件のみを調整して切ってしまう。
親に何か介護が必要な事があれば、頻繁に連絡を取り合うというモチベーションにもなるのかもしれないが、非常に幸せな事に現状はその必要はない。
準備といった面でいえば、ちと遅い感じもあるのだが、まだ私が頭で考えている位の事である。
顔を合わせば話をするくらいは問題ないが、喩えれば学校の先生と話をする位の気の使いっぷりくらいだろうか。
この喩えは人によって大いに違うだろうからかえって混乱させてしまうかもしれないけれれども。
さて、ただ、いつまでもこれではいかがなものかと思う。
【年賀状をやめてしまった問題】益々没交渉になりかねないので対策を
私は既に年に一度の年賀状を止めてしまった。
これは、私の都合で行ったものである。
この事により、ただでさえ没交渉であった姉とのやり取りが、ますます限られた物になってしまう。
これは、私の責任において、きちんとお互いの状況を把握しておくべきであろう。
よって、この項目の重要性は増しているのだ。
もっとも、この項目自体は年賀状をやめるという事よりも前に記入したような気がする。
【姉弟について】友人という訳ではないちょっと微妙なカテゴリー
もっと、心情的な物として、連絡を取り合わなければなあ、と漠然とした感覚だったのだ。
就職は実家から通える場所ではなかったので、この年齢になると、実家で暮らすよりも長い時間を別の地域で生活したことになる。
それでも、幼少の頃を暮らした場所はやはり特別な場所だし、兄弟というのも特別な存在だ。
友人とはどこか違う、なにやら秘密を共有しているような心境。
それはそうか、家庭というのは実際、恥や秘密を抱える物であり、よしんばその内容を思い出すことがないとしても、その心境だけがどこか残ってしまうのだろう。
兄弟を関係の深さにおいてみれば、ただの友人と親友の間という所ではないだろうか。
でも、親友は長く合う事がなければ、ただの友人になってしまうかもしれない。
一方で、兄弟はどこまで行っても兄弟というカテゴリーは変わらないから、違うラベルとして取り扱われるのかもしれないが。
ところで私は末子な訳で、他の末子の方々同様、思い出すに理不尽な目やひどい目にもあった様な気もするが、同じ位は世話にもなった気もする。
どちらも子供時代の事ではあるので、よい思い出として心にしまって置くという事が正しい作法であろうけれども。
【まとめ】
ともかく、事務的に用件だけを伝える関係性というのもイマイチ寂しい様な人としてどうかという気にもなる。
出来れば、要件があるからという理由ではなく、今、どうしているかという感情的な物として、年に一度位はお互いの近況トークをしたいのだ。
そうしないと、多分、時間は人を他人にしてしまう。
それではちと寂しいではないか。
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