形式的な事は得意ではないが、世話になった人に対してはお礼を述べておきたい。
【人生における不義理】悪い事は簡単だけど良い事を思い出すのは大変
それなりに長い人生だ、思い出すに色々と至らぬ点もあった。
いやむしろ思い出したくないような恥や不義理をたくさん重ねてきたかもしれない。
私の場合、特に真っ先に歳暮、そして年賀状をやめてしまう様な人格である。
そりゃ不義理さんという名の者が友人であってもおかしくはない。
その様な中、お世話になった方々というものがある。
いつかその方々に御礼の手紙を出しておきたいと思っている。
ところで、昔を思い出して見ても、世話になった方など誰も思い浮かばぬという人々もあるかもしれない。
しかし、大抵の場合には単純に忘れてしまっているだけではないか。
別にその様な方々を非情であるとは思わない。
それは仕方がない事であると思う。
人間、悪い事はその度毎に心に刻み込まれる為、忘れる事には時間を要する事となるが、よい事となればさっぱりと忘れてしまうものである。
それに、その度毎にお礼がきちんと言えていればよいのだ。
忘れたからと言って不義理であるとは限るまい。
【感謝している方々】世話になった量からでなく質で思い浮かべる
私の場合にはもっぱら2人思い浮かべる。
いや至らぬ私の事である。
無論他にも多くの方々の世話になった。
しかし、特に挙げるならという事と、やはり人生のターニングポイントにおいて何らかのインパクトがあった方々である。
私も別にむやみに回顧していきなり手紙を出しまくるという事をしたいという訳ではない。
そもそも、手紙を出すという行為自体、直接会って話をするという事の代理行為なのであある。
当初は本項目は世話になった方に会って食事会を催すという内容を考えていた。
しかしいくら何でも、何年、何十年も経ってから突然連絡した上で食事でもどうですかとはならないだろう。
年賀状でも辛いと言っているほどの人物である。
これは相当に骨が折れる行為だ。
よって、方針を変えたのである。
【大学時代の恩師】不良学生にもかかわらず見捨てられなくてよかった…
肝心の対象の方というのは誰かという事だが、一人は大学の時の教授。
まさに不良学生というにふさわしい私に色々と便宜を図ってくれた。
いや悪い意味での便宜ではなく。
あまり他の学生の人気は良かったという感じではなかったが、なぜか私とは気が合っていたような気がする。
しかし、こちらの方はさすがにあまりにも古い話に過ぎる。
更には、思い出せば赤面しかりの事も見つかりかねないので、そっと良い思い出のフォルダの中にしまっているがよかろう。
【入社した際の課長】厳しい方でしたが色々と指導を受けました
もう一人というのは、こちらが本件実行の主対象となる訳だが、私が現在の会社に入社した時の元上司。
当然、当時、私は平だったので、その上に係長がおり、その上の課長の事である。
私ももうよい歳だ。
その際に、管理職だったその対象の方は既に定年退職を迎え、とうの昔に会社を去っている。
昔気質の人で、非常に怖い上司であったと記憶している。
特に私を呼び出しては、色々な事、技術的な事を厳しく教えてくれた。
今の私のある程度の根幹をなしていると思う。
但し、時代は変わっている。
こんなことを言っては何だが、今の時代では受け入れられないやり方だろう。
今、あのようなやり方をしてはパワハラだなんだと騒がれる。
だから、私は感謝こそすれ、人に対し同じ様なやり方はできない。
でも、私は個人的に感謝している。
【感謝の手紙】変に取られないよう技巧に凝らずストレートにする事にしよう
この感謝の気持ちを手紙という形で明確にしておきたいのだ。
おそらくは大変に驚かれる事だろう。
おまけに今すぐではなく、まだずっと先の話。
既に会社を去って10年も15年も経ってから、まして会社で関わった元部下の時代から見れば20年以上の時を経て届く手紙。
考えてみれば私ならちょっと怖いかもと思う。
関わって20年も30年も経ってからの昔の知り合いから手紙が来たら、もしかしたら、何かの勧誘かと思ってしまうかもしれない。
でも、まあ、中身を見れば感謝の手紙な訳だし悪い気にもなるまい。
たとえ私の自己満足に終わるとしても、相手の迷惑になるという事はないだろう。
ああ、はるか昔にこの様な奴もいたなあ、出来が良くなかったから色々と教えてやったっけと、私の事も思い出してくれるかもしれない。
又は、誰だっけ、妙な事をする奴もいるものだな、と訝しむかもしれない。
まあ、その時はその時だ。
別に実害はないのだし、遠い昔は上司だったわけだし、多少は我慢してもらう事にしようか。
【まとめ】
筆不精という事もないとは思うのだが、手紙の書き方の作法など知らないし、遠い先を期限に区切っているのでどうなるか分からない。
ちなみに私は「吾輩は猫である」に出てくる出演者の先生とその教え子 水島寒月との関係性にあこがれている。
恩師と生徒という役割で、時々、たわいもない話をするのだ。
まあ、この本の舞台は100年以上も前の話で、現代では難しい事であろうし、勝手に恩師役にされた方にとっては訳が分からないだろうけど。
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