そういえば、昔から服にはそれほど気を遣う質ではなかった。
近年、あまり服に気を使わない企業経営者が増えたと思う。
実際にデータを取ったわけではないから本当のところは知らない。
そういうイメージなのだ。
代表はアップル創業者 スティーブ・ジョブズあたりか。
その様な人々は大体、いつも同じような装いをしている。
話に聞くところによると同じ服を何着も持っているのだそうだ。
同じ服を着続けているわけではない。
これは、非常に論理的であり、素晴らしい考え方だと思った。
いちいち毎日の服に気を遣うのは面倒である。
平日などは特にだ。
着る服はどうせユニクロなのに、あえて同じような服を何着も色違いで持っている。
なんだかそうすべきという考えがあった。
今考えると、いっそ同じものにすればよかった。
私の洋服の引き出しには多くの色違いの服がみっしりと詰め込まれている。
時々は処分していたのだが、貰ったりする事もあってそれなりに服は場所を取る。
でも、50%の服は全く使用せず、とりあえず気が向けば着るかも、結構高かったし
という理由で保存している。
また、残りのうち、30%の服を着る機会はせいぜい、1シーズンあたりで1回か
2回位だろうか。
そもそも冬服や夏服といったカテゴリに分けたとして、1シーズンあたり100日、
その間に着る服など限られている。
いつも着ているのは全体の20%位である。
洗濯のルーティンは大体2日間あれば充分であるが、色々な考慮を含め、その倍を
考慮すると4日分もあれば十分となるであろう。
これらを除いて処分したいと思っているのだが、なかなか実行できない。
実は、既にだいぶ減らした。
とても目立つ絵が大きく胸のところにプリントされた服も何着も持っていて、
むしろこの辺りは人の受けもあまり良くなかったと思う。
この様な服を着ることでまだまだ若い気がしていたものだ。
年齢に負けずに私はこんな服も着られるぞと。
いったい何と戦っていたのだろう。
今となっては年相応の服を着ればよいと思う。
落ち着いた単色の当たり障りのない形のものである。
もっとも、私の様な機能的考えが正しいとは言わない。
例えば私の子供たちがこんな考え方だったらちょっと問題だと言わざるを得ない。
特に娘が私と似たような考え方になってしまったら少し悲しくなるだろう。
勝手なものだが、娘にはおしゃれもしてもらいたい。
息子にだって、若いうちには見た目に気を使ってもらいたいと思うものだ。
最近、ちょっと私に似てきているようで少し心配だ。
中学生なのだから、もうちょっと、見た目に気を使って異性からどう見られるか
について、考えを巡らせる事もしてほしい。
ちなみに私だって見た目には気を遣う。
朝の貴重な時間のうち、かなりの部分を身だしなみに割り当てている。
現在では私の方が子供たちよりも長い時間をかけているので、時々洗面台で迷惑
がられるくらいである。
また、清潔さも大事であると思う。
50歳のおっさんが?と言われそうだが、洗顔の際には、洗顔料を
しっかり泡立ててから、力を入れることなく、泡で触って洗うようにする。
泡はこれでもかってくらいにしっかり流す。
歯磨きの際にはなんならリステリンとフロスまでやっている。
全部で15分位はかかるだろうか。
いらない服を捨てるというのは、無頓着であるという意味ではない。
朝から服を選ぶという事がなんだか、疲れてしまうこの頃なのである。
だから、選択肢をはじめから減らしておきたいのだ。
服がみずぼらしいと、自分はよくても人に対して不快な感情を抱かせる恐れがある。
それについては、気の毒だから、破けたとか古ぼけたものは積極的に処分するよう
にしている。
以前はそれすらもったいない気がして穴が開いたジーパンを着続けていたものだ。
別におしゃれでやっているダメージパンツという訳ではない。
みずぼらしい恰好はしないので、おしゃれをしない事は勘弁してほしい。
そのあたりについては周辺の方々の理解を期待したい。
生きていると悩んだり迷ったりすることは、掃いて捨てるほどたくさんある。
服にまで悩まされてたまるものか。
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