【回らない寿司店に行く】回転寿司のテイクアウトはよく使うのですが

寿司3カン 家族

子供の頃、握りずしというのは大人が行くものだと思っていた。 

【回らないすし店】最後に行ったのは今から20数年前… 

実際、誰の目から見ても明らかに大人だろうという年齢になって見れば、いっそ行く機会がない。 

それこそ皆無である。 

最後に行ったのはいったいいつの事だったか。 

今から20数年前、友人T君と北海道に自動車で旅に出た。 

その旅の途中、小樽市で寿司を食った。 

それが最後であった気がする。 

その時の寿司はうまかった。 

何だか、お皿ではなく、カウンターに直接、握った寿司を置かれてびっくりした覚えがある。 

本当の寿司というのはこういう物かと変な所に感心させられた。 

その後、法事や何やらで、買ってくる寿司、または寿司一人前を食う機会はあったけれど、これはちょっと違うのだ。 

実際に握り寿司屋に行って、大将(私のイメージ、本当にその様に言うかは知らない)の前で、お任せで握ってもらいたい。 

私は食べ物の好き嫌いはあまりないし。

【寿司屋の佇まい】目につくお店って入りにくそうな店ばかりでして 

しかし、回らないすし店というのは一体どこにあるのだろう。 

縁がなさ過ぎて、目に映らないのだ。 

何だか、時々目にする寿司屋はやっているのかどうか不安になるような佇まいの店であることが多い。 

古い一般の商店に立ち並んでいる事が多いのだ。 

勝手な事だが今は少子化で、後継者とか修行者とかの確保が難しいのではと思ってしまう。 

実際に行きもしないくせに、余計な心配だけしているが、大将の年齢も高齢になっているだろう。 

いや、私だってこのバケットリストの1項目として本件を入れる位は、将来の客なのである。 

自分が行く時になって、どこにもないというのでは困る。 

勝手に心配するくらいは許される事だろう。 

【特別な店に行くきっかけ】理由がないと高級な店に行く事はないです 

実際に店を訪れる際には一人でという訳にはいかない。 

妻と同行する必要がある。 

結婚記念日であれば、5年に1度ではあるがフランス料理と決めている。 

あいにくこの様な決まり事は1つであっても継続が怪しい位なので、他に設定する事はないだろう。 

一体、どのようなきっかけにおいてこんな20年以上も訪れる事がなかった店に行く事が出来るのか。 

今から心配しているのである。 

多分、子供が独立して手が離れたとか、会社を退職する頃とかそんな人生の節目になるのではあるまいか。 

そうすると、目標として掲げた53歳での達成というのは危ぶまれる。 

この時の年齢には何のきっかけも発生する予定はない。 

子供はまだ学生であり、私は忙しくしている事と思う。 

まあ、他にもなんかあるかもしれないから、とりあえず年齢はこのままとしておくが、実際にはずっと先送りとなるかもしれない。 

何だかなあという感じではあるが。 

【高級な店について】お金ではなく人の深みの問題ではないかと 

私の友人T君などは私に何やら景気の良い話を聞かせてくれる。 

回らないすし屋については言うに及ばずである。 

小樽のすし屋に連れて行ってもらったのは彼であるし、すし屋の作法(お任せとか)についても彼から聞いたのだ。 

既に数年前の事だが、なんだか有名な料理人が経営する料理店に行ったらしい。 

2人で5万円位したとの事。 

私などはそんな金請求されたら泣きだしてしまいそうである。 

焼いた肉にワサビを付けて食べたのだそうだ。 

さすが高級店、味の想像もつかん、と変な感想を持った。 

彼は決して裕福とか事業に成功しているという訳ではない。 

ごく一般の会社員である。 

でも、私などよりもはるかに多くの店に訪れているし、経験も豊富である。 

人間形成には、金の使い方というのも大事なのだろう。 

私などは高い金を出して旅行や食事に行く気はしない。 

結局は、何か有形の物を購入したくなるのである。 

ちょっと、人としての深みという所で彼には負けている気がする。 

まあ、別にいい。 

だから私も頻繁に食事に行こうなどと短絡的には思わないけれど。 

【まとめ】 

本件、私の事だから早い決行はないだろう。 

多分、他の多くの大変でやらなければならないという項目の方が優先される気がする。 

なにぶん貧乏性なので、おいしいものは残しておいて後で食べるという傾向が強いのだ。 

残して置いたら誰かに食べられてしまったとかもよくある話であるから、そうなる前に、楽しい事も順次実施していきたいとは考えているのだが。 

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