どこかに旅行に行ったり、家族としてのイベントを持ったり。
何か実行するとしては他に比較して簡単にやれるような気がしてくる。
例えば、ディズニーランドになどただ行けばよいだけの話とかそういう事だ。
でも、現在なかなか実行に至る事が出来ない。
【コロナ禍の影響】現在の中途半端な制限状態がなんだかいろいろ煩わしい
以前、まだ子供が小さい頃には、頻繁にとは言わないまでも長期休暇の際には、自然とどこかに行こうかという事になっていた。
ところが現在、これが全く成り立っていない。
コロナ禍が始まって既に3年目。
その期間、どこにも行っていない。
外食もあるとしてもテイクアウトばかりとなっている。そうすると、行ける店も限られてくる。
子供達すら、この様な気を使いながらの外出や外食はあまり行きたがらなくなっている。
これって、何か心理的影響からくる事なのではないかと心配になってしまっている。
一体、この状況はいつまで続く事なのだろう。
政府としては Go To トラベルだの、海外旅行者の受け入れだのを再度言い出しているが、これもなんだかなあと思う。
これを言い出す前に、出口戦略とか、このコロナに対する考え方とかを変えるなりして欲しい。
変えていないのに、緩める事だけを行っては、患者数は増え、企業では混乱するばかりだ。
事実、企業では罹患者が発生すると、周辺の人たちもしばらく出社はできなくなる。
対応は以前のままだ。
中国ではゼロコロナ政策を取っており長期にわたる大都市でのロックダウンが明けたばかりである。
一方、欧米では制限を緩めてマスク不要論も出始めているようだ。
コロナと共に生きる事を決断し始めているのかもしれない。
そうすると、まだまだコロナは無くなりそうにない。
ままならない話である。
【家族旅行】そこまで色々挙げていない。思っていたより無いものだと思う。
別にこれだけという訳でもないのだが、あえてバケットリストには下記の2件を挙げている。
過去に行った中で特にインパクトが大きくまた行きたいという物を項目にしているのだ。
子供達にせがまれて行くケースが多かったのであまり考える必要もなかったが、現状、期限があるような気がして焦っている。
多分、大人になってしまえば、白馬はともかく、ディズニーランドに一緒に行く機会など皆無になってしまうだろう。
その時に、後で後悔する事はないだろうか。
それが心配なのである。
当家はあまり活発な家庭ではないとはいえ、以前は長期休暇の都度、予定をつけて色々な場所に行っていた。
それが子供の情操教育につながるとも考えていたのだ。
でも、そういえば自分の子供の頃を思い出すにそれ程家族で旅行などしただろうか。
あまり頻繁にどこかに行ったという記憶はない。
精精が父親、母親の実家に年に一度年に位、訪問する位だろうか。
あまり海やらに行った覚えもないが、逆に機会が少ないのでどんな感じであったか鮮明に覚えている。
もしかしたら、少なくとも子供の為にという所は、あまり気に病む必要はないのかもしれない。
【妻の事】運命共同体と言うやつなのでしょう
基本的には将来的な旅行については全て妻同を想定しているし、妻と一緒にやりたい事としては下記を想定している。
知り合ってから25年、連れ添ってからは20年程になる訳だ。
知っている期間でいえば親の方が長いという事になるだろうが、共に過ごした時間としては既にそれを大きく超えて一緒に過ごしたことになる。
人という種の中で、一番一緒にいる対象であると言ってよかろう。
では、よくわかっているのかと言われれば甚だ怪しいものとなってしまう。
しかし、20年を経ても未だにぶつかり合う機会がある。
主なきっかけは子供の事についてだが、言い方がとかそういう事も時々ある。
もういい加減、お互いの事もわかってよさそうなものだと思うが、どうしても同じような事を繰り返してしまう。
本当に不思議な事だと思う。
それでも唯一連れ添った相手である。
幸せであって欲しいと望んでいるのは偽らざる事実だ。
子供の人生は子供が自分で切り開くものだと思っているし、年齢的な制限もある。
人として生まれたからには誰か一人くらいは幸せにしたいではないか。
そうすると、私に何かがあった後が心配だ。
あの世界一の投資家ウォーレンバフェットでさえ、自分の没後の妻の事に言及している。
あれだけ金があれば、何の心配もないだろうにと思われてもである。
まして当家など心配や準備をしない訳には行かないだろう。
知識がないと、色々苦労する。
たとえ嫌な事であっても下記の事は何とか得てもらいたいと思っている。
【腐れ縁の7年】関心と無関心の揺らぎの次の段階に来るそうだ
脳科学者、AI研究者の黒川伊保子氏記による「定年夫婦のトリセツ」という本を読んだが、その中では結婚生活を7年ごとに分けていた。
「男と女」の7年、「戦友」の7年、「関心と無関心の揺らぎ」の7年、そして「腐れ縁」、「安寧」へと。
そうすると、当家は「関心と無関心の」7年の最後の段階にある訳だ。
多分、上記で挙げている中では最も難しい時期なのではないだろうか。
これから来る7年も「腐れ縁」とあきらめを含んでおり、あまり良い物ではない雰囲気だ。
でも、実は「腐れ縁」ならなかなか悪くないような気もしている。
友人Tとも腐れ縁だし、昔一緒に働いていたカナダ人の昔の同僚とも気が合ったが、腐れ縁だねと笑っていた。
英語では Fatal bondsというそうだ。
逆訳すれば、運命的な絆ともなるようだが、そうなるとちと恥ずかしい。
腐っているという字になるから悪い感じになるのであって、これをその意味である、断ち難い関係と言い換えれば不思議と前向きになる。
そして、私の両親を見ていると更にその後に来る「安寧」というのも分からないでもない気がする。
7年ごとに来る「夫婦危機」脳科学から見た必然 | 東洋経済オンライン
【まとめ】
人の社会生活の最小単位として家族がある。
そこに幸せがなければ多分幸せになるのは非常に難しい事だろう。
色々苦労もあるし、乗り越えなければならない事も多いが、何とかうまくやっていければと思っている。
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