先日、息子にお金の知識教育をするという事を挙げていることを記載したが、当然、娘にもお金について教える必要がある。
【本を読む事について】早すぎるとちょっと損した気になる
この人生という名前のゲーム盤においてルールを把握していないのは致命的だと思うからである。
なんだかどっかで聞いた様なフレーズになってしまったが。
現在、娘は小学生。
小学生向けの小説ばかり読んでいるが愛嬌があるよい子である。
本を読むのがとても早い。
作者が同じであれば大人向けの小説を読むこともあるが、私よりも早いのでびっくりする。
本当に内容を理解しているのかと思うほどである。
彼女に言わせると私は本を読むのが遅すぎるそうだ。
私は本を楽しんで読むことも多いのであまり早いと損をしたような気になる。
【お金の教育】独立に備えてしっかりと心得ていてもらいたい
ところで娘は多分、息子よりも独立が遅いのではないだろうかと勝手に思っている。
娘本人もそう言っているが、まだ独立がどの様なことを意味しているのか判っていない可能性があるから、そのままを受け止めているわけではない。
どうしてもそうイメージされてしまうのだ。
せめて娘がいつか独立したいと言い出した時には、出来るだけ反対しないでいてあげたいと思う。
さて、お金についてだが、具体的にどの様な教育を行っていくか。
息子ならなんだか簡単な気がする。
彼は私を見てファイナンシャルプランナーの資格の勉強をしようかなとか言っているので、それに乗じて教えていくのだ。
彼は私が感心させられるほどの努力家だ。
ちょっと、ストイックすぎて逆に心配になるくらいである。
【娘に対するお金の教育】父親が娘に物を教える事の難しさ
一方、娘はどうかというと、少なくとも今のところは勉強が好きではなさそうだ。
勉強も趣味の一環であろうし、趣味については個人の資質によるところも多いだろうから、嫌なことを無理矢理にやらせたいとは思わない。
無論、最低ここまでという事はあるが。
娘には娘の良いところがあるので、それが伸びてくれればと思っている。
この項目の実行は難航を予想している。
ファイナンシャルプランナーなどという役に立つかわからない(少なくとも本人にとっては)資格の為に学習したいとは思わないだろう。
そうすると、私がかいつまんで説明する必要があるが、父親が娘に物を教えるというのは大変なことではないかと思う。
特に、高校生にもなろうとなれば猶更だ。
話を聞いてくれるイメージがわかない。
一緒の空間で経済の学習をする父娘である。
いないとは言わないが実行している人は少ないのではないだろうか。
ちょっと気恥ずかしい気すらする。
不思議なことに父息子ならなんとなくイメージする事が出来る。
同じ内容でもこちらはなんだかほほえましさすら感じる。
これが性差というものだろうか。
【価値観の変化】フェミニストの方々には怒られるかもしれない
これからは社会に出て必要な事は男も女もなくなっていくのだろう。
少なくとも、10年後、20年後となれば猶更。
この様に息子と娘へ対応する際の感じ方はフェミニストの方々に怒られてしまうかもしれない。
でも、勘弁してほしい。
もう50になる。
いまから人から言われて価値観や考え方、感じ方を変えるのは本当に難しい。
世間の感覚が変わる事は当然だしそうであろうと思うが、私自身が変わるのは難しいのである。
せめて、世の価値観が変わることに対し、邪魔にならないようにしようと思う今日この頃である。
【まとめ】
でも、高校生の時に話を聞いてくれない娘だったとしても、大学生にでもなれば知識の取得に私を利用しようと思うかもしれない。
その様な理由をもって、その達成期日には大分猶予を持たせている。
まだ10年以上あれば、どこかで達成させる機会もあるのではないだろうか。
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