昨日は”自分の入る老人ホームを決めておく”だった。
今日は、自分の葬式用の写真を決めておく、だ。
【この項目の発生について】誤解がないようにしておかないと
これらを見ている方があれば、こいつはどうやら近々でよからぬことを企んでいるか、
何やら大病でも患っているかとあらぬ誤解を受けそうである。
ところが、こちとら精神的に病んでいることなど全くなく、かつ以前にもまして健康になっている。
その様な予定はないし、私の順番が来るのはまだまだごめんこうむりたい。
ただ、下記の記事で親の葬式での写真準備の必要性について述べている。
必然的に自分の分もと考える訳だ。
まだまだ私は元気で働きたいという事については上記の記事内での既述の通りである。
写真を準備しようというのは今から20年後、まだまだ若いうちに写真屋さんに行って準備しようと考えている。
自分で遺影を撮影しておこうと考える者も少ないのではないだろうか。
ましてそれを20年も前から計画をしているなんて、我ながら物好きな者もいるものだ。
【平均的おっさん像】みんな混ぜて平均化すればこんなもんかと
ちなみにこのブログのコンセプトには「普通のどこにでもいるサラリーマンが実はどんなことを考えているか」という事が想定されている。
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すると、この辺の普通のサラリーマンが考えている事に当たらないのではと言われてしまいそうである。
いや、ちょっと待ってほしい。
別に、この普通のサラリーマンが考えている事という意味は、画一的である事という意味を述べている訳ではない。
考え方は自由なのだ。
多分、普通のおっさんサラリーマンには私など及ばない面白い考え方を持つ方もいる事だろう。
中には突飛な考えを持つ方、攻撃的な方もいるかもしれない。
それらのおっさんの考え方をまとめあげ、平均的なおっさん像を作成した時に割と私などはその平均像から近いのではと思っているのである。
そりゃ、考えの中のいくつかは、突飛なものも存在する事であろう。
でもその様な項目はその平均的なという所からは少し外れるかもしれないが、全部まとめてかき混ぜてから同じ分量で割ったりすれば、まあ平均だろうという事である。
【写真の内容について】笑っているのか普通の顔かそれが問題だ
で、自分の葬式用の写真の事であるが、どのようなものがよいか。
折角、前もって準備するのだから、出来るだけきちんとしたものがよい。
笑顔がよいのか、まじめぶっているのがよいのか。
でも、基本的には、普通の顔でよいのではと思っている。
まるで、自動車免許証の証明写真の様に。
私は記念撮影の際に笑うのが苦手だ。
時々記念撮影をする際に無理やりに笑顔を作らされることがあるが、どうしても嘘くさく感じてしまう。
自然に笑うのは多くはない。
おそらくは99%の時間で何の感情もない顔をしているのではないか。
別に常にしかつめらしいという意味ではないのだけど。
そうすると、普通の顔をしている時が私なのではないか。
笑顔の私はないとは言わないが、それを見て私であるというイメージを皆は持ってくれるのか。
別に、私の葬式の際にむやみに悲しんでくれなくともよい。
むしろ、淡々とで結構である。
でも、いつもの私を少し思い出してくれるには、いつもの私の顔がよいのではないだろうか。
笑顔なんか無理やり作ってもどこかよそよそしい感じにならないだろうか。
ちょっと、その辺が心配なのである。
【遺影の更新周期】多分、70も越えたらあんまりかわらないのでは
ところで、70歳で写真を撮って、その後、長い寿命があったらどうするのだという意見も聞こえてきそうだ。
随分な差になってしまうのではと。
ちなみにその際には、すっぱり諦めて、この70歳の時の写真を使ってもらう。
私だって一生のうちに何度も葬式用の写真を写真屋さんに撮りに行くほど物好きではない。
いや、万が一、その様な事を実行している方があればその考えを否定するものではないが、私にはちょっと面倒すぎる。
一度で十分なのだ。
一度だけ、この活動をする事で、自分の人生における節目の様なものを設定しておきたいだけなので、何度もやりたい訳ではない。
写真写りなどは正直どうでもよいのである。
もっともその時になれば、それなりに気にするのかもしれない。
【まとめ】
しかし、このあたりって俗に言う終活ではないか。
終活ってこんなに早く、まだまだ働き盛りの段階でいう事だろうか。
まして、計画して、バケットリストに入れておくだなんて。
そのあたりは少し変わっているのかもしれない。
上記で平均的なという事を主張して舌の根も乾かぬうちの事であるがちょっと、自覚が必要かも。
下記にこれら終活?に関連しそうな記事を挙げておく。
よかったら併せて読んでみて欲しい。
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