【遺言書を書く】前向きに早めに準備したいと思っている物の一つです

万年筆 老後の準備・終活

なかなか難しい事なのではないかと思うが、遺言書を作成しておきたい。

【普通方式遺言】遺言書ってもう少し身近で良いのではないでしょうか

遺言書にも色々、作法があって、適当に文書を書いてしまっておけばよいというものではない。

残すからにはきちんとしておこうと思っている。

普通方式遺言には、自筆証書遺言、公正証書遺言、秘密証書遺言の3通りがあるが、私の場合には自筆証書遺言を考えている。

面倒な事もあるだろうが、一生に一度の事である。

きちんとしておきたい。

内緒にするのも嫌だと思っているので、中身は公開してよいものと考えている。

自筆証書遺言は私が全文、日付、氏名を自書し押印するが、財産目録を添付する場合、各ページに署名・捺印すれば目録に対してはパソコンでの作成が認められる。

検認という家庭裁判所が遺言書を確認し、遺言書の偽造を防止する為のプロセスが必要とされるが、原本を法務局で保管する場合には不要となる。

そして誰かに証人になってもらう必要はない。

上記で挙げた3通りの普通方式の遺言書作成において、承認が不要となるのはこれだけである。

【遺言書の作成割合】思いのほか少ないですね

多分、これを読んでいる方においては、遺言書という物に違和感を覚えるかもしれない。

実際、遺言書を作成したことがある者は、全年齢において自筆証書遺言は3.7%、公正証書遺言で3.1%なのだそうだ。(公益財団法人 生命保険文化センターより)

思っていたよりも少ない気がする。

年齢が高まって70代位になっても1割にも満たないみたいである。

【残る人の為に】無駄な争いのもとは減らしておきたいですよね

私が遺言書を作成する目的に他意はないのだ。

単純に、残った者が少しでも揉める機会や可能性を減らしておきたいというだけである。

無論、子供達には出来るだけ公平な目を持つように教育しており、この様な事で揉めるような様な人達ではないと当然考えている。

でも、人間は完ぺきではなく、それは自分の子供だって同じ事だろう。

遺産相続で揉めるときには揉めるのである。

交通事故や病気にかかると思って保険に入る人は少ないのではないだろうか。

具体的に使わないと思っても、万一に備えて準備をする。

それと似たようなことだ。

私は子供たちに対し公平でありたいと思っている。

ここでいう公平とは単純に半分づつ(妻に対しては別だが)という意味ではない。

それは、悪平等という物だろう。

責任を放棄してしまった気がしてしまうのだ。

例え、嫌であっても、そこははっきりしておきたい。

【相続内容の一貫性】公平であることについて考慮を巡らせないと

例えば息子には留学で金をかけたなら、その分は引くべきではないだろうか。

その機会を複利で大きく育てたか、別に何の役にも立たなかったかは本人次第だろうが。

何かをしたから自分はどれくらい貰うべきだというのは受け取る側の都合だろう。

そうでなく、贈る側、この場合には私の事であるが、がどう感じていたのかが重要な事であろうと思う。

この様に考えるのは日本では非常に少数派であるようだ。

【多数派、少数派の意味について】ところ変わればですよという事

ところで、考え方の多数、少数という事に対し、ここで海外の例を出す。

ちょっと、Webで検索をかけてもらえば出てくることなので、ソースは出さないが、アメリカでは、60%以上、欧州でも50%以上の者が遺言書を作成するようである。

そうすると、遺言書を作成する方が多数派となる。

先進国の割合でいっても、欧州とアメリカを足した方が日本の人口よりはるかに多い訳であるので、その場合には私の考え方の方が主流となって逆転するようだ。

考え方の大小など、こんなものである。

周りを基準にしてしまうと、いくらでも変わってしまう。

いざとなれば、私の周りでは、というあいまいな定義も使えるし。

結局、自分がどう考えるか、どう感じるかが重要な事であろう。

【まとめ】

ま、いい訳の様になってしまったが、もっとも、人生の最後には偉そうに遺産と呼べるほどの資産などないという可能性も大いにある訳だ。

その場合、まさに杞憂という言葉の通りだが、本項目は仕事が落ち着いた頃にやりたいなと思っている事である。

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