別段信心深いという訳でもない。
ただ、毎年初詣を欠かさない様な人物になりたいと思ったまでだ。
【初詣の作法】和装がいいけど寒そうなんですよね
理想を言えば、和装で臨みたいところである。
但し、実際には和装という物がどの様なものであるかはあいまいだし、そもそも持っていない。
また、実際に和装があったとして、なんだか寒そうなイメージなので、あのような恰好にて真冬の街を歩くのは非常に気が引ける。
過去に何度か述べているように私は非常に寒がりなのだ。
よしんば寒くないとして、年に一度しか着用しない服を用意する事はないだろうし、私と和装というのはおそらく一生縁がない事だろう。
こればかりはあきらめる方が自分の為と思われる。
初詣に行く格好はどの様なものでも別に良い。
【どんな時 初詣に行くのか】自分が何を望んでいるのか振り返る
私が初詣に行くのはなんだか神様にすがりたい様な状況が多い気がする。
例えば子供の受験期とか厄年とか、体調が優れないとき。
この様な気まぐれに神社を訪れる者に対しては、神様だって優先順位は下げてしまうのではないだろうか。
神社に行けばそれなりに厳かな気持ちになる。
多分これは教会に行っても同様なのかもしれないが、そこまで行くと私にはやはり敷居が高すぎるし、何のきっかけもない。
古来からある神社に行って、年に一度、神様にお願いする事で、自分は何を望むのか確認したいのだ。
今年、自分が望むことは何ですかと。
そうする事で、何かに向かって進むモチベーションが出来る気がする。
【年末の事】ここ数年は除夜の鐘の音を聞く前に寝てしまっています…
ここ数年は年末の除夜の鐘を聞く前に眠りについてしまうし、年賀状はやめてしまった。
以前は年末年始の特番を見る事で、年が過ぎるのをドキドキしながら待っていた気がするが、今では全然気にならなくなってしまった。
紅白歌合戦もゆく年くる年も見る事はない。
年末のテレビは子供たちが占領している。
変に大人の権利を主張するのも気の毒なので好きにさせている。
多分、年末のテレビにかける熱意は私よりもはるかに上だろう。
優先されて当然だと思ってしまう。
このテレビに対する熱意のなさは年を取る事の弊害だろうか。
【まとめ】
せめて、新年になった時ぐらいは神社に行くことを習慣にしたい。
去年行ったかは定かではないので、確実に行った事を覚えている今年を起点にする。
3回連続で参拝すれば、本項目は完了したものと定義しよう。
また、正月の期間は曖昧だが、その期間の間にという条件も付ける。
そういえば、今年は子供達も連れて行った。
一体いくつ位まで子供達は一緒に行くものなのだろうか。
ちょっと寂しい様な気持ちになる。
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