さほどたくさんある訳でもないが、ノートやら手紙やらがある。
このまま放っておいても塵芥の様になってしまうだろうから、昔を思い出しながら整理をしたいという事だ。
【資料を整理する時】どこかで決めておかないと一生やらないかもしれない
そうすると、ちょっと年齢が早いかもしれないが、こればかりは急に何があるか分かったものでもない。
ある程度早いうちに整理をしておきたいのだ。
もっと年齢を重ねて、仕事にも余裕が出来てからという考え方もあるだろう。
でもこれは高齢者になった自分への押し付けだろう。
多分、私は高齢になってもそれなりに忙しくしているのではと思う。
だから後回しにしても状況はあんまり変わらないのではと。
今はそれぞれの資料がどこにあるかもわからない様になっている。
これらをきちんと年代別に分けておこうと思っている。
もっとも偉そうに言うほど量がある訳でもないから、多分1日もあれば十分に終わる話であろうとは思っているのだけど。
これも、意外なものを見つけて自分を振り返るきっかけになるかもしれない。
そうすると、日々に追われて忙しい方ほど、これはやってみる方がよい項目なのではと愚考するものである。
【昔のノート】今でも思い出すのだが赤面しかりの事が書いてある
ところで20代の頃について、思い出そうと思えばそれなりに鮮明に思い出せる。
旅に出ている際に記録しているのは覚えている。
これは、下記の旅の間に記録したものもあるし、通常の日々において記録したものもある。
まあ、これらについてはよい。
ただの旅の記録で、あっちに行ったの、こんなものを食べたのが多分書いてある。
でも昔、多感な頃に書いた人生についての詩だとかが残っている。
もしこれが家族に見られたらと思うとさすがに恥ずかしい。
ここにはロックとかシャウト的な事が書いてある。
いや、人が書いたものなら別に何とも思わない。
逆に感心すると思う。
でも、まぎれもなく自分が作成した詩とか、歌詞とかになってくると、さすがにどうだろうと思う。
既に成人はしている時に作成した物だが、内容は明らかに中二病なのだ。
【詩、作詞】捨てるに忍びないけど万が一にも見られたくないと思う物
この様な資料はあまりにも自分のキャラが崩壊しそうで人には見られたくないと思う物である。
でも、捨てるには忍びない。
間違いなく私の一時代である訳だ。
20代の頃、色々な不安の中で生きていた。
会社の寮の4階で将来について不安を感じながら、夕日を眺めてどこか空しいとか寂しいとかそういった時に、こういう物を制作していたのだ。
別に全く悪くはない。
ただ微妙な気持ちになるばかりである。
この50のおっさんの気持ちをどのように表せばよいのか。
仮に私が日本文学の文豪であり、100年後、私についての研究が行われたとしよう。
色々とご立派な事が残されている一方、20代の頃には妙な事を言っている資料も残されている。
きっとその研究者を混乱させる事請け合いである。
【ビジネスチャンスか】この様な事は信用商売な訳で難しいと思う
この様に、処分するか大事に取っておくかを悩むような物って人はそれぞれ持っているのではあるまいか。
捨ててしまうには惜しい物、そういったものを預かって、万一自分の身に何かが起こった時、処分する。
そういった事業は新たな事業にならないか。
まあ、無理だろう。
そういった物はあまりにもデリケートすぎて、信用に足る事業者でなければ到底預ける気がしないはずである。
管理システムや事業者そのものの信用を構築するには骨が折れるし、どこまで行っても難しい事と思う。
素直に、きれいにまとめて取っておくか、いい年になればいっそ処分する事をお勧めする。
【まとめ】
まあ、昔の手紙やノートを見て懐かしむ事で、心の調律をする機会になればよいと思ってこの項目を挙げた。
心をざわつかせるような、とんでもない物が発掘されない事を祈るばかりである。
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