【自分の葬儀の希望を残す】連絡先とか形式とか必要情報とか…

ベンチと木の風景 老後の準備・終活

人生100年において70歳というのは、まだまだその様な事を考えるのは早すぎるだろうが。

【今考える意味】こればかりはいつ来るのか分からない。確率の問題もあるけど 

なに、大したこともない。 

単純に、自分に何かあれば、これこれには連絡をしてくださいよ。 

写真は良かったらこれを使ってくださいね。 

手紙はここにありますよ。 

葬儀は簡易、略式、安価で結構です。ここなんかお勧めですよ。 

等々を残しておこうかと思っている。 

多分その様な事はないとは思うが、まかり間違って、大規模な葬儀が執り行われたら草葉の陰から気恥ずかしい思いをする事になってしまう。 

一方、入場から完了までの式次第を私自らの手で執り行いたいという訳ではない。 

葬儀も面倒だろうし、私も格式ばった物は不要であるので、出来れば簡易的な物で結構だという意思を残しておこうと考えているのだ。 

100歳まで30年という早い時期なのはまあ、人間、生ものですからね。 

何が起こるか分かりはしないっていう事で。 

そういえば、昔読んだ、養老孟子先生の「死の壁」という本の中で、直前まで死など意識しない奴ほど幸せに生きれるとあった気がする。 

それをふと思い出した。確かにその通りと今でも思う。 

別に遺灰を砂漠に撒いてくれとか、海に流してくれとか、あまつさえ宇宙に飛ばしてくれなどとロマンティックな事を言うつもりは一切ない。 

単純に用件のみを淡々と示しておく事にしよう。 

【葬儀の種類】直葬でも構わないけど世間の目ってやつもありますし 

しかし、葬儀にも色々ある。 

信仰により違いがあるのはそりゃそうだろうが、そうでなくとも、家族葬とか密葬とか、直葬とか一日葬とかなにぶん色々あるらしい。 

どうやらこの辺りは規模とか参列者の数、式次第とかその辺に違いがあるらしい。 

まさにその辺を細かく突っ込んで調べる事は実は別の項目で想定している。 

この項目ではあくまで自分の葬儀の希望について残すという項目なのである。 

今の単純な感情でいえば、実際、直葬でも構わないと思っているのだが、そうすると家族にも周りの目もあるし、却って負担になる可能性もある。 

いくら私本人の希望でといったところで、それを喧伝する訳でもなかろうから、周りにどのように言われるか分からない。 

そうすると、自分の見解など残すべきではないのかとも思う。 

喪主となる遺族が決める時に却って難しい要素の一つとなるのであれば、逆効果。 

私は助けになると思って残そうとしているのだ。 

まあ、今後の話である。 

決めるまでにはまだまだあるからゆっくり考えます。 

実際決めた後に状況が変われば取り下げるのもありだろうし。 

その時には、焦って赤面しながら なしなしっ て言う事だろう。 

【平均的なおっさん】自分に余命宣告あればめそめそと泣くでしょう、陰で 

ちなみにこの年齢になるとまれに葬儀のお知らせが来ることがある。 

大概は正式連絡というよりは人づてに聞く事になるのだが、特に自分と同年代で亡くなる方もあるようになってきた。 

その様な情報を得る都度、あまり知らない人という場合であっても、残された遺族の事が心配になる。 

子供が小さい場合には特に気の毒、無念な事だと思う。 

少し自分に置き換えてしまって、ちょっと落ち込むことになる。 

自分はその時にどれほど後悔なく、迎えられるのかどうかと考える。 

いや、実際は後悔だらけであろう。多分一生その様な聖人になどなれはしまい。 

平均的なおっさんにその様な問題があればきっとめそめそと泣く事になるのではないだろうか。 

あくまで私も平均的なおっさんである。 

きっと表面上は立派な事をいいながら、陰ではめそめそ泣く事になるだろう。 

そんなことを言ったら平均的なおっさんに失礼かもしれない。 

でも私はきっとそうだ。 

【まとめ】 

「永遠に生きるかの様に学べ 明日死ぬかのように生きろ」 

という好きな言葉がある。 

ガンジーが言ったという情報が多いが、実際には違うようである。 

誰が言ってもよい言葉はよいので構わない。 

こんな言葉の様に生きられるかは自信がないが、せめてあの人らしいと思われて、人からあんまり気の毒がられることなく終われればいいなと思っている。 

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